1107「マルチな能力が必要、いつまでやっていけるやら」(924日(月)曇り)

 

私の朝食は、最近はパンにスライスしたチーズとトマトを乗せトースターで5分、その間にフライパンを思い切り熱して薄焼き卵を作る。焼きあがったパンにきざんだキュウリかキャベツを乗せ、タバスコを振り、その上に薄焼き卵を載せる。包丁でばらばらにならないように注意しながら4つに切る。冷蔵庫から牛乳を取り出しコップに注ぎ、一緒に食卓に運ぶ。しかしたったこれだけのことでも大変。今日はチーズとパンがなくなった。チーズは8枚でワンパック、パンは6枚でワンパック、新しいものを買ってからもう1週間もたってしまったのだ。

ゴミだし、是だってなかなかの日課になる。大体ゴミをあのように分類すること自体が大変。今日も使えなくなった単4電池。これはどうすればいいのだ。思案の末、お菓子袋に入れて燃えるごみに突っ込む・・・・いけない老人の典型!

通信、ラジオ体操、かえって語学の放送、株式市場のオープン、それが終わってようやく外に出る。薄曇りの日、傘は持って行くべきか否か。ここもそれなりの思案。

メールボックスを開ける。どうしてこう毎日、沢山、通信物は来るのだろう。土地を売りませんかの広告、スーパーの安売りセール、銀行、証券会社の通知、クラス会のお知らせ、ときどき督促状「自動引き落としの預金がなくなっています。」、税金の通知、健康診断の結果お知らせ、いまだに来る結婚した娘や息子へも通知・・・・・そのどれにも私には的確な対応が求められる。

荻窪に行こうと外に出ると、女性が二人。一人の女性がこちらを向き「やっと出てきましたの。これからうるさくなるかも知れませんがよろしく。」205号室Aさんの若奥さんだ。覗き込むとチンクシャの顔をした赤ん坊が目を閉じ、指をくわえ、ひたすら自分の世界に浸っている。もう一人の女性は、お母さんらしい。反射的に「おめでとうございます、可愛いですね。」心がなごみ鼻をなで「たあかくなーれ、たあかくなーれ。」と祈った。

しかしここで長居しても始まらぬ。私は「歩け、歩けの兵隊さん」のように荻窪への道を歩み始める。20分。バスに乗るという安易な方法を取りたがる自分を抑える。安易な道は習慣になる。行きに歩けば帰りも歩きたくなる。行きに歩いておけば、仮に帰りに乗ったとしても半分は歩いたことになるではないか・・・・・。

さて荻窪西友:日常の買い物は、我が家の状態の記憶が前提になる。今日はチーズとパン、そこで夕食のおかずを考えた。魚屋にはなかなかうまそうなサバ。しかし冷蔵庫に古い肉が残っているし、茄子や白菜も早くも古くなりかかっている。それを鑑みてやめにする。しかしそのほかにいろいろ買った。店を歩き回っているといつの間にか買い物が思い浮かんでくるのだ。戦後のみな生活に困っていたころ、おふくろが言った。「町に行けば何か買うのよ。お金を使わない一番良い方法は家の外に出ないことよ。」逆説的に思い出す。背中には、今日は書道教室があるから、その道具の入ったかばん、両手にはスーパーの買い物、ビニール袋いっぱいで格好がつかぬこと夥しい。

昼食は日高やでまたラーメン。喫茶店でお勉強。本を読んだり、語学を勉強したり。ひところは漢字にこり随分やったが、今は熱が冷めている。

3時から書道の御稽古。この良いところは僅かの時間でもそれに没頭し、頭を「転換できるからかもしれない。今は上杉謙信の詩を書いている。そんなものを書いたところで何の役に立つというわけではないのだけれども・・・・・。

5時過ぎに終わる。これから帰ってやること。夕食のおかずをあの残りの野菜と肉で作ること、350mlのビールを飲むこと、二階でカラオケをうなること、TVでプロ野球の楽天の試合を見ること・・・・

次から次へとやらねばならぬ事。詩吟のBさんの言っていた言葉を思い出す。

「当分ぼける心配はないわ。是だけ馬鹿をやっていれば・・・・。」

また別の友人の言葉。「人間はやることがないと退屈で孤独でさびしさを感じ、少し忙しいと「目が回る、やってられない、解放されたい。」と感じる。贅沢な動物だ。」私もその一種類かもしれぬ。忙しさを自身で求めているのかもしれぬ。

しかし一人で生きてゆくために要求される能力の多様なこと。これに驚く。良く続くものと感心してしまう。倒れれば自分の無責任に何も感じなくなり、それはそれで満足に感じるのかもしれぬが・・・・。

「人生はタライからタライへちゃっぷん。」

あの赤ん坊にガラガラでも買ってやろう、と玩具屋に行く。希望があっていいな。

 

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