1133「雪の降る町を・・・・」(114日(月)雪)

 

雪がしんしんと降っている。いや、しんしんよりもずんずんとでも言った方がいいかもしれない。となれば、皆家に閉じこもって暖炉を囲み、餅でも食う、窓からは一面の銀世界という風景、が似合いそうだ。しかしきょうびは、いささか異なる。百億以上かけて建てたとかいう大きな公会堂。前の広場を俄背広と俄振袖の二十歳の男女が占拠し、話に興じたり、記念写真を撮ったり、にぎやか、にぎやか・・・・。こちらがそばを通って振袖にふれようが、振袖でひっぱたかれようがお構いなし。貸衣装屋は泣くだろうなあ。

昨日は、亡妻の妹の家でパーテイがあった。彼女及びその子達、私と私の子達、孫たち、総勢12人が昼ごろに集まる予定であった。ところが朝、宝塚に住んでいる私の次女から電話があった。彼女一家は、これに出るためにわざわざ新幹線で出てきて、ホテルに泊まっているらしい。「明日は天気が悪いらしいからお墓に行かない?」あわてて待ち合わせ場所の航空公園に行った。天気はよく、4歳になる孫が「あけましておめでとうございます。」とちゃんと挨拶をくれた。順調に可愛くいたずらっ子に育っているようでうれしい。墓では水を運ぶのだと張り切っていた。もっともこぼしては母親に泣き付いていたが・・・・・。

墓参りをしたおかげで亡妻の妹宅には予定よりだいぶ遅れて着いた。もう彼女一統と私の長女一家が内揃い、パーテイまっただ中であった。ほとんどの料理を彼女が作ったらしい。高級ワインを飲みながら優雅な食事。私はすぐに眠くなってしまった。気が付くと墓地で活躍し、地下鉄で眠りこけ、再び目を覚ました孫が外に出て遊ぼうという。竹とんぼならぬ玩具屋で売っているプラスチックトンボのひもを思い切り引くと、トンボは空高く舞い上がり、隣のうちまで飛んで行ってしまった。残り物の味付けごはんやらバウンドケーキ、こちらは持参せぬのにお年賀を子達からたんと貰って我が家に7時ころ帰宅。

そして今日。朝4時過ぎに起きて外をのぞいたところ、案の定雨であった。しかし日記を書き終えて、6時ころ外に出るとすっかり雪に変わり、もうどこもかしこも白く雪化粧を始めていた。その中をラジオ体操の会場である公園まで出かけたが、もちろん人はいなかった。雪はどんどん降り積もる。気温も低い。私はよほどこのまま一日じっとしていようか、と考えた。しかしそうすると、全く外の空気と運動なしの一日になってしまいそう。先日日記でぼやいた孤独な独身老人の繰り返しである。これではいかんと、一大決心をして荻窪に行くことにした。十分厚着をし、あの長靴を履いて・・・・。あの長靴と書いたのは、実は釣り用の魚屋が穿くような長靴。「みっともない、変えなさいよ。」とガールフレンドのAさんは言うが、穿くのは、せいぜい1年に二度か三度、面倒くさくてそのままになっている。

もう昼近く。次女一家はもう新幹線に乗っているのだろうか。本当に昨日墓参りに行っておいてよかった。そして冒頭の公会堂前で晴れ着軍団に遭遇。50年前を思い出す。区長様の訓示でもあって安物の記念品でももらうのか。とにもかくにも日本の未来は君たちにかかっている・・・・。あいにくの天気は、気の毒と思う反面今朝のテレビで新成人の一人が言っていた「雪もいい記念になります。」・・・・そう思えば楽しいのかもしれぬ。早めの昼飯を済ませてきた私は、喫茶店で書物など読んで時間を過ごすことにした。窓際の席に座ると、入り口のドアを乱暴にあけて振袖の女性が「コマツザキ・・・・。」と大声張り上げて飛び込んできた。コマツザキは友人の名前であろうか。横目で見ながら、私は自分の世界に浸る。新成人諸君、お行儀も少し勉強した方がいいと思うよ。

雪は一向にやまない。水けを含んだ重たい雪である。傘をさして駅の方に向かうとときどきどさっと傘に衝撃を感じる。街路樹か何かにたまった雪が、落ちてきたのである。スーパーもやけにすいている。こんな時は新成人をのぞけば、大体出てこないという事か。買い物を済ませ、わが家に戻ろうとバス停のある駅前広場に行く。ところが人は並んでいるが、バスはほとんど見えぬ。タクシーも行列はできているが、一向にくる様子がない。停留所にいる係りの男に聞くと「運行していますが、この雪で大幅に遅れています。」列に並んで青梅街道を眺めると、車が列をなし、ほとんど動いていない。

これではいつになったら帰れるかわからぬと、徒歩で帰ることにした。2キロ足らず。これもいい運動になるだろうさ。脇道に入ると車の数は少なくなる。いづれも低速で事故など起こさぬよう慎重な運転。歩くのと違わぬくらいの速度。こちらは足元に注意しながら、30分くらいかけて我が家にたどり着いた。温まってしまってからでは億劫と、玄関の雪を掻き、一応表には出られるようにしておいた。雪は、まだずんずんと降り続いている。テレビでは「思いのほか急速な低気圧の発展と強くなった北風が大雪の原因」と伝えている。

(追記、翌日)天気は回復したが、雪景色。風景が変わってしまった。夕方4時半ころであったろうか。呼び鈴が鳴ったので外に出ると、若い女性が二人いた。「101号のBですが、雪かきのスコップがありませんか。」Bさん、フットサルというスポーツのインストラクターをしている去年か一昨年に成人式を終えたばかりのお嬢さんである。清潔好きでいつも窓辺に満艦飾で衣類が干してある。入居したころは黒かったが、いつかしばらく見ぬうちに、急に白く綺麗になっていて驚いた御嬢さん。一緒の女性はお友達であろうか。「あるけれども・・・・。」と怪訝に渡すと「暇だから雪かきをします。」自分たちのスコップと二つで、にこにこと始めたのである。私はひどくうれしくなって、お年賀でもらったお菓子を取り出し「これ食べてください。」と渡した。

 

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読者からいただいたメール

私は昭和10年生まれで、20歳になったのは昭和30年、戦後10年たっても戦争の遺物が大分残っていました。
会社からは、労働者に対し特別にお米の配給がありました。仕事は、戦中戦後止められた本支管の復活でした。
今の国立競技場には米軍の官舎が建設され、ガスを供給するため、空襲で残った地域のガス管を掘り上げて、その管を埋設し供給したことを覚えています。
そんなことで「成人式」はありませんでした。
二十歳の思い出なんて特にありませんが、選挙権が与えられ、選挙に行きましとが、当時はウイクデーに行われていて、
選挙のため会社は遅刻を認めていました。
いいか悪いかは別にしていい、これからの発展を期し、希望のあるいい時代でした。