1143「「天地明察」を読む」(2月16日(土)曇り)
友人から勧められ、古本屋でたまたま見つけて読んだ。「沖方丁」これでうぶかたとうと読む。暦に関係する文字を並べたらしい。凄い作家と思う。1977年生まれというからまだ35,6歳・・・・。近来になく面白い小説、一読を進める。私としては映画もできているという事なので今は見てみたい。
以下技術的あらすじ風。本当はこの作家の女性の心理の描き方も大変なもの。「えん」や若死にした「こと」共性格がよく描かれ作品に広がりを感じさせる。
渋谷の金王八幡の庭に算額奉納が行われ、主人公が夢中になり、それが縁で「えん」と言う女性と知り合う、と言うところから書き出している。
「5:4:3の直角三角形に直径が等しい円を接触させて二つ入れる。円の直径を問う。」
安井算哲、後の渋川春海はお城碁をうつ碁うち衆の家に生まれた。しかし彼は数学にも異常なくらい興味を持っていた。
少しおさらいをしておこう。「月の満ち欠けは、月は太陽の光が当たることによって、我我が見ることができるが、この時裏側は見えぬ。月は29.5日かけて地球を回り、これを月の公転という。月の公転に合わせて作られたものが太陰暦、地球の公転に合わせて作られたものが太陽暦である。月蝕は地球が太陽と月の間に入り、地球の影が太陽に映ることによって月が欠けて見える現象を言う。日食は太陽が月に覆われてしまうことである。」
ウイキペデイア、月蝕の項から編集・転用。
「月食が起こるのは太陽・月が黄道・白道の交わる点(月の昇交点・降交点)付近にいる時に限られる。月食は多くの場合1年間に2回起こるか起こらない年、3回起こる年もあり21世紀の100年間では合計142回生じる。一方、日食は合計224回。・・・・」
あるとき、主人公は老中酒井に呼び出されて、囲碁の相手をしながら、
「蝕(月蝕あるいは日蝕)をもっと正確にはかれぬものかの」そんな投げかけられる。
さらに北極出地は知っておるかと聞かれ、主人公は答える。「測地の術の一つと存じます。南北の経糸、東西の緯糸をもって地理を定める時、おのおのの土地の緯度は、その土地にて見える北極星の高さに等しいのです。ゆえに緯度とその計測を北極出地と称します。距離算定、方角確定の術となります。」結果、彼は「北極星を見てまいれ。」と命じられる。
(別のサイトによると、現在では北極星は完全に北極上にあるのではない、とされるらしいがこのころはそのように信じられていた。)
建部昌明観測隊に参加して各地におもむき、象限儀(測量機器のひとつ。円の4分の1の扇形をしていることから四分儀とも称される。)を用いて北極星の高さ、日蝕、月蝕を測定するのである。
そのころ暦は宣明暦という物がもとになっていた。859年渤海大使がもたらしたもので、以後に日本の暦法が進歩しなかったので、ずっともとになっていた。京都の土御門家が独占して管理を行ったが、地方ではこれをもとに作られた三島歴なども用いられていた。
宣明暦に従えば1年は365.2446日である。
一方中国では授時暦が使われていた。「西方のイスラム・アラビア世界の科学技術が本格的に中国に流入するようになり、アラビア天文学の影響を受けて精密な天体観測が行われるようになった」結果、できた正確なものであった。1太陽年をグレゴリオ暦と同じ365.2425日としていた。宣明暦と授時暦で1年で0.0021日の違い・・・しかし800年の間には2日近くの誤差に広がっていたのである。
建部等亡き後、主人公は会津の名君保科正之に呼び出され「その授時暦を作りし三人の才人と肩を並べ、この国に正しき天理をもたらしてはくれぬか。」といわれる。宣明暦を廃止し、改暦を行えるようにしろ、というのである。
主人公を中心とするプロジェクトチームが作られた。暦法を変えるには「帝の勅命」が必要である。しかし最初の請願に対する朝廷方の反応は冷たかった。「授時暦」は不吉。陰には暦事業による膨大な収入と権力があったからである。しかし彼等は諦めぬ。暦法の優劣は、蝕をあてるかが決定的な証拠となる。宣明暦は必ず蝕を外す時が来る、と信じて事業にまい進する。それから宣明暦、朝廷方の主張する「大統暦」、授時暦の蝕をあてる競争が行われる。ただし予測された蝕の日にのみ・・・・・。
最後に授時暦の長が認められ、授時暦の定数を若干改変し、里差、すなわち日本と中国の経度の差を補正した大和暦、さらに貞享暦と名を変えられて約70年間用いられることになるのである。
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