1157「サッチャー英元首相が他界」(48日(月)晴れ)

 

サッチャー英元首相が他界したそうだ。如何にも英国の貴族らしい気品のある顔と、その実績を重ね合わせれば、我々にも印象が深い政治家。しかし日本から見れば、地球の裏側、つっこんで知っているわけがない。インターネットの記事を寄せ集めて(一分編集)振り返りたい。

私は1989年から2年、イギリスのチェスターで過ごした。人気の陰りの出たころであったが印象は深く、イギリス人と何かを話す時にいつも話題になった。

「イギリスは二人の女性(サッチャー首相とエリザベス女王)に支配されている。だからTVを見ろ、みなおかたい番組ばかりだ。フランスに行くと息抜きができる。」とある日本人。すると彼等は「日本は首相がまたも変わったね。」と言い返してきた。あの頃、海部氏、宇野氏などどの首相も1年も持たずに変わった。

ウイキペデイアによれば・・・・・

「サッチャーの生家は地元の名士で、代々メソジストの敬虔な信徒であり、生家の家訓であった「質素倹約」「自己責任・自助努力」の精神はサッチャーにも色濃く受け継がれた。父・アルフレッドを非常に尊敬し、サッチャーは「人間として必要なことは全て父から学んだ」と度々口にした。オックスフォード大学で化学を学び、1947年に卒業。その後、研究者の道に進み、コロイド化学が専門であり、アイスクリームに空気を混ぜてかさ増しする方法を研究したことがある。一方、大学時代にはハイエクの経済学にも傾倒していた。この頃に培われた経済学に対する思想が、後の新自由主義的な経済改革(いわゆるサッチャリズム)の源流になった。

鉄の女性と呼ばれた。彼女をこのように呼んだのはソ連の国防省機関紙。然し以外にも彼女は自身が気に入り、マスコミもその様に取り上げたため代名詞のようになった。2007年に英国国会議事堂内に銅像が建立された。なお、建立に際しサッチャーは、「鉄の像になるかと思ったのですが、銅像ですね。……銅もいいですよね、錆びないから。」と述べ、人々の笑いを誘った。」

私にはあのフォークランド島の事件が印象に深い。再びウイキペデイアのよれば

「アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵略に対し、サッチャーは間髪入れず艦隊、爆撃機をフォークランドへ派遣し、多数の艦艇を失ったものの2ヶ月の戦闘の結果首都を陥落させ、アルゼンチン軍を放逐した。この強硬な姿勢によるフォークランド奪還は、イギリス国民からの評価が極めて高い。この際、「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである」(領土とは国家そのものであり、その国家なくしては国民の生命・財産の存在する根拠が失われるという意)と述べた。」開戦に反対する閣僚たちにむかって「この内閣に男は一人しかいないのですか?」と発言している。」

晩年は認知症となり、夫の死亡も忘れるほど記憶力が減退していた、夫の死すら覚えていない、と娘さんが証言していたとか。

Yahooニュースに小林泰子という在英のジャーナリストは「サッチャー元首相亡くなる ―今も英国に影落とす「遺産」とは」という記事を書いている。

1980年代、EC(欧州経済共同体、後の欧州連合=EU)は域内での市場統合、さらには通貨統合から政治統合へと向かう動きを議論していた。 サッチャーは通貨統合への環境整備となる欧州為替相場メカニズム(ERM)への参加や、その先の政治統合に対し、強く反対の姿勢をとった。このスタンスは引き継がれ2010年発足の連立政権で首相となったキャメロン保守党党首は、2011年末、欧州債務危機を収拾するための欧州理事会会議で、財政安定化に向けての基本条約には参加しないことを決めた・・・

「またサッチャーは国営企業の大規模な民営化を続々と実行し、労働法の改正によって労働組合を改革した。 公営住宅の払い下げによる住宅取得を奨励して中流階級の拡大を目指す一方で、採算の取れないビジネスとなっていた炭鉱を閉鎖し、大量の失業者を生み出した。 イングランド地方北部、スコットランド、ウェールズ地方は、炭鉱閉鎖や製造業の衰退でもっとも大きな影響を受けた。住民は、サッチャー政権が貧富の差を拡大させたことを忘れていない。」

「左派系ガーディアンの社説がいい。「サッチャーを好むと好まないにかかわらず、元首相は「過去30年以上の英国の政治の議題を設定した」と指摘。その死で、今後30年間の議題もそうなるかもしれない、と述べる。 社説の結末に、ガーディアンの思いがにじみ出る。「様々な意味でサッチャーは偉大な女性だった」が、「国葬にするべきではないというのは正しい」。それは、「サッチャーの遺産は国民を分断したこと、個人的な身勝手、強欲ブーム」であり、これを総合すると、「人間の精神を束縛する」ものであったからだ。読んでいて、すごく強い表現のように感じた。」

独立志向が強く、強い英国を目指したサッチャーであったが、陰の部分もいろいろあったようだ。長い闘病生活の末の死、87歳。冥福を祈りたい。

 

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