1164「憲法記念日に思う」(53日(金)晴れ)

 

憲法記念日、いろいろな議論が出てかまびすしい。いろいろな視点から、いろいろな方向に向いた多様な意見があり、議論が一方向に集約されていないように感じる。

「改憲バスに乗る前に」、江川紹子氏がかみついている。

「自民党は、昨年4月に「日本国憲法改正草案」を決定している。この中で9条書き換え以上に重要なことは、「革命」に匹敵するほどの価値観の変容を、国民に迫るものとなっている点だ。

まず注目すべきは、「個人の尊重」の消滅。 日本国憲法第13条は、まず最初にこう書かれている。 〈すべて国民は、個人として尊重される〉

一人ひとりの「個人」が等しい価値の存在として尊重される。一人ひとりが、自らの生存と自由を守り幸福を追求していく権利を有する。その権利もまた等しく尊重されなければならない・・・これは、憲法の土台であり出発点であり、憲法全体を貫く価値観と言えるだろう。

ところが、「草案」ではこうなっている。〈全て国民は、人として尊重される〉 国民は、一人ひとりの違いを認め合う「個人」として扱われるのではなく、包括的な「人」というくくりの中に汲み入れられる。違いよりも「人グループ」としての同質性に重きが置かれる。しかも、その人権には、「公益及び公の秩序に反しない限り」という条件がついた。ここには、明らかに「人権」より「公益及び公の秩序」、「個人」より「国家」を優先する発想がある。・・・・」 (抜き書きおよび編集)

そして江川氏は憲法改正に反対し、96条改正にも、最終的には改正しようというのだから反対、という立場の様だ。しかし私はむしろ自民党型でなければ、国家そのものが危機に陥るのではないか、と感じ、江川氏の考えに同調できない。国民がともすれば権利のみを主張し、義務を忘れているから、おかしな風潮の社会が出来上がった、とも感じる

私の友人は私に次のようなメールをくれた。

「前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあります。改憲勢力はいま我が国周囲に「平和を愛する諸国民」なんていない。中国も韓国も北朝鮮もそのとおり、米国だって自由と民主主義は愛するが、そのためなら平和は犠牲にする精神らしい」ですよね。前提がこんな考えだから本文もだめだと解釈するか、本文の条項は前文と独立して判断すべきだという考えかたも当然あるとはおもいますが、少なくとも前文は変えるべきですね。」

私が憲法を読んで違和感を覚えるのはまず第1章天皇だ。

1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とある。象徴であるなら、学校でも社会でももっと大事にしなければならぬように感じる。また「皇室典範」の考え方と民主憲法のギャップの大きさに驚く。男子による世襲、皇室の決め方、国事行為の在り方など、およそ民主主義社会の考え方と相いれないものが多い。どのような形になるのかはともかく再検討し、考え方に整合性を持たせてほしい。

9条は一つには実態を反映していない、一つには周囲の状況を見回せば理想論ばかり振り回してもいられない、と感じる。前者はもちろん自衛隊のことである。あれは明らかに軍隊で戦力である。そして何か事が起これば国民は彼らに戦力としての活躍を期待している。それ故現在のままでは憲法違反である。精神はこうでなければならない、などという論はおかしい。後者はもちろん集団的自衛権の問題である。周囲は私の友人の指摘通り我が国周囲の国々はまずは「自国の平和、安全、繁栄」を願っており、聖人君子の顔ばかりしているわけにはゆかぬ。

3章の国民の権利と義務は国民の権利が前面に打ち出されすぎている、と感じる。第11条の「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」は、どんなことがあっても絶対的に正しいか?

4章国会、第5章内閣、第6章司法は、これですべて正しい、と言える人はいないのではないか。衆議院と参議院の関係、選挙制度改革のように司法と現在の国会や内閣の状況、判断が異なるとき、どのようにすればいいのか。総理大臣の直接選挙、形骸化した最高裁判所の裁判官の審査などもこれに絡めて考えるべきかもしれぬ。

憲法改正にはいろいろ意見があると思う。ここで素人の私が、自分自身の考えを思い切り開陳することはさけたい。しかし一つだけ言えることがあるように思う。それは戦後70年近くがたって、しかもいわばアメリカに押し付けられた憲法、改正すべきではない、議論すべきでないという考え方はあるべきでない。社会の変化や進歩を止めてしまうようなものだ。たとえそれが9条あるいは96条の改正につながる、などの危惧があろうとも、それだから反対、というのはおかしい。

 

註 ご意見をお待ちしています。

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読者から次のようなご意見をいただきました。

私は今の改憲議論はおかしいと思う。

憲法は国民が為政者を縛るものであるならば、為政者は、先ず改憲ありきではなくて、今後の日本の姿を提示して、「そのためには憲法のこの部分は改革の障害になるから、こう改正したい」と提案すべきだと思う。例えば自民党なら、「国家意識を持たせ、国防を充実する。そのためには、天皇を元首にし、戦争放棄の項を削り、公の秩序に反しない限り、人として尊重される、に改める」、公明党は「9条を書き加えて、集団的自衛権を認める」、みんなの党や維新の会は「9条を集団的自衛権を認めるように改め、国会を一院制にし、道州制を導入する」、等にすればわかり易い。
その場合、民主党がどうするかは興味深い。今の民主党議員の大部分は、集団的自衛権を認める立場だろうが、世論調査によると有権者の3割以上いる護憲派の票も捨てがたいであろう。
参議院は解散がないし、長期テーマを考えるのに向いているのだから、これを次回の参議院選挙の争点にすれば、国民も選びやすいと思うのだが。
確かに現憲法はアメリカに押し付けられたのだろうが、1951年の独立後60年以上守ってきて、その間に戦争がなかったことも事実である。その意味では日本人のものになっている。
いまさら、押し付け憲法だから自主憲法を制定しなければならない、という議論はおかしいし、時代が変わっているのだから、改定すること自身に反対するのもおかしい。