1181「定年後の生活2」(7月17日(水)曇り)
通信1177「定年後の生活」について同期のA君からつぎのようなメールをもらった。
「先日、会社時代の後輩の定年祝賀会に呼ばれて、集まった現役の後輩たちに、「60歳代は、カネ、時間、気力、体力が揃った、最高の時期だから充分楽しむように。そのためには50歳代後半からぼつぼつ準備を始めた方が良い。」と言う挨拶をした。
今思うと60歳代は本当に楽しく充実していた。70歳代になった今は、その余波で楽しんでいる感じで、体力や脳力の衰えを実感する。貴兄の「ゴールデンタイムには必ず終わりが来る」を、1日でも先伸ばししようとむなしい努力をしている感じがします。
最近私も近くの公園でのラジオ体操を始めました。真剣にやると結構疲れ、よい運動になる。しかしラジオ体操や男の料理教室に入ると、老人生活にドップリ漬かってしまったようで、次は75歳以上の敬老食事会か、と寂しい感じもします。
8月にピアノ発表会があります。つっかえても間違えても、どうということもないのですが、やはり上手く弾きたいので、毎日練習し、ストレスを感じています。馬鹿馬鹿しいとも思いますが、少しは進歩しているかな、と自己満足しています。」(一部編集)
私はこの意見はある面では正しく、ある面では違っているように思う。
70歳代になって体力や能力の衰えを感じる・・・・それはその通りと思う。私も少し前まではスポーツクラブに行き、水泳をし、ジョギングをし、体を鍛えていた。本もそれなりに読んだし、このエッセイにしても書くことに楽しみを感じた。しかし最近はスポーツクラブは時々風呂に入りにゆく程度であるからやめようかとも考えているし、自動車運転免許すら運転が億劫になり、いっそ車は廃車にし、免許は返納しようかと考えている。健康診断の諸数値もまだ危険水域に達してはいないけれど、血圧が前立腺癌の兆候を示すと言われるPSI値も上がり気味である。身長でさえ、少しちじんできている。本もまだ眼鏡をかけるほどではないが文庫本などは読むと疲れる。最近も「大国の興亡」という厚い本を買ってきたがツンドク状態。
しかし私はこれが80歳代になったらどうだろうと思うことにしている。ラジオ体操で一緒の管工事経営のBさん、医者のCさんなどは私より10歳近く年上、しかしお元気。私もあの歳になってあそこまで頑張れるだろうか、と考える。
ラジオ体操や男の料理教室が60代の時の仕事に比べて充実感がないことは分かっている。それは通信にも書いたように目的感がないからである。達成してもせいぜい周囲の人に褒められるくらいが関の山でどうという事はない。そしてそれも体力の衰えと共にできなくなってしまう。後には何も残らない。しかし60代の仕事でもほとんどそうではなかったか。
私はケチである。金を使うのはいい、時間を使うのもいい、しかしその価値を考えたいのである。友人が普段に比べて豪華な食事を食おうという段になった時
「いいではないか。どうせ金は墓にもて行けるわけじゃない。それに寝たきりになって医者に払う金に比べたりどんなに有効かしれはしない。」
何もできなくなればデイサービスなどに行き、やりたくもない遊びなどさせられるのが関の山だ。時間は殺され、それでいて結構なお金は取られる。もっとひどくなれば寝たきりになり、時間も金も本人の知らないところで飛翔されてゆく・・・・・。
思い出を語る、というのはある面では嘆き節を唱えているのではないか。青春時代の思い出が懐かしく甘美なのはもうそれができない身になっているからである。できないくせにしがみつきたいものだから恋の歌など歌って喜んでいる。
そんな風に考えればまだラジオ体操や男の料理教室に行き、わずかな金の費消だけで有効な楽しい時間を過ごせることは幸せではないか、と考えるのである。そしてまたきっと80代になれば「70代の私は元気であった。ゴールデンエージであった。今は残りを生きているようなもの。」と嘆くのかもしれない。
ピアノの発表会を開けるなんて素晴らしいじゃないか、と思う。いつ開かれるのですか。もし時間があれば聞きにゆきたい・・・・と私は感じている。
・・・・・・・
このように書いたところ、幸いA君からは「そうですね。現実の生活はもっと明るいのかもしれません。毎日、好きなものを食べて遊んで暮らしているのは、日々の生活に困らないだけの蓄えや年金があるから、であって幸せに感じることはあっても悩む問題ではない。」というような内容のメールを受けた。しかし本音を言えば私の心の奥にA氏のような感情がないわけではない。みなさんはどう考えていますか。
註 ご意見をお待ちしています。
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