1185「豪華客船・・・終末医療コース」(7月28日(日)曇り)
高校同期の友人A君がもう一度長い船旅をしたいと言い出した時に出た話題。
「1年中、あの豪華客船に乗ってすごすものがいる。丁寧に扱ってくれる、娯楽もついているからそれなりに楽しい、医師団もついている。費用は安いところで年間1500-2000万円。」
1500-2000万円が高いか、安いか・・・・・しかしこれも中には30億の資産を持ち、金が入ってきてしかたがない者もいるという。確かに30億を3%で回しても1億足らず、1500-2000万など屁でもないのかもしれない。裕福であるか否か・・・・それは往々にして比較の問題なのだ。上には上、下には下がいる。
「死んだらどうなるのだい?」この質問に私は答えを予想していた。水葬。大体海で人が死んだときこれで死者を処理すると決まっている。ところが豪華客船の場合は違った。冷凍して持ち帰り、遺族に引き渡すのだそうだ。「じゃあ、クジラの肉と同じだな。」というとそうだという。水葬は法律面で問題があったり、遺族からの訴えを恐れるからだろうか。
こんな話の延長で「余命、例えば3か月以内と診断された者の終末医療を、豪華客船で行うというのはどうだろう。」という話が出た。「これは絶対商売になる。」とA君。なぜなら患者は静かな環境で死期を迎えられるし、遺族もいっそのこと水葬にしてもらえれば葬式代がうく。遺族が最後はどうしても立ち合いたいというなら呼び寄せ便を用意してもいいかもしれぬ。」
環境問題は、私はないと思う。人間の死体がなくたって、海は海の生物の死体でいつも汚され続け、いつも自然力で回復している。
西村寿行の「癌病船」という作品を思い出した。ブログから拾うと
「北斗号は、世界保健機構の付属機関リチャード・スコット財団が巨費を投じて難病・癌と戦うべく建造した未曾有の病院船である。800人の癌患者と、300名の医師、最新鋭の医療機器が搭載されている。幾多の困難を克服し、人類の未来に希望の灯をともすために、横浜を発ち世界の旅にでた。しかし行く手には幾多の障害が待っていた。」
その障害への取り組みと簡単な恋物語を組み合わせたところが物語として面白いのだが、癌病船の思想自体は同じように感じる。
死が近づいたら、自らその迎え方を考えるという点では深沢七郎の「楢山節考」も同じだ。ウイキペデイアをちょっと借用すれば「真冬の楢山へ欣然と死に赴く老母と、その孝行息子が胸のはりさける思いで背板に母親を乗せて姨捨てにゆく物語。」
しかしこれらの話を知人にしたところ、いろいろ茶々を入れる者がいた。
「誰が死んだ、と判定するのよ?」
「それは船に乗っている医者さ。遺族に対して死亡を、葬式を報告するとともに死亡証明書も発行するだろう。」
「面倒くさいから、生きているうちに医者を巻き込んで、水葬にしてしまうというケースはないかしら・・・・。」・・・・・これはよくわからぬ。陸上の場合は死の判定と死体処理は別の機関が行うからなあ。
「老人の介護が面倒くさくなった子達が、本人が嫌がるのに豪華客船に送り込んでしまうことはないかしら・・・・。」・・・・ありうる、ありうる。
「大体、最初から寝たきりであったり、垂れ流しである客を船が受け入れてくれるかしら・・・。」うーん・・・・・!
そこまで言うのなら、葬儀には最近は自然葬として粉にしてばらまくだの、樹木葬だのいろいろある。あれに水葬というのは加えられないものなのだろうか。
話は四方に広がって行った。しかしあなたは自分の死を豪華客船の中で迎える、死ねば海へじゃぶんというシナリオをどう考えますか・・・・・。希望しますか。
最後に日頃思うのだけれど幸せな人生とは何であるか、畳の上で家族に看取られて死ぬことが本当に一番の幸せなのか、時に思う。家族にとっては、それが望ましいけれども、本人には、海に捨てられても大した変りはないかもしれぬ。どうせ自分は一人で消えてしまうのだ・・・・・・。幸せな人生とは、幸せと感じていた期間と対応するかもしれぬ。豪華客船にいることが幸せと感じるならそれもいいのかもしれぬ。
もう一つ、日本人は遺体とか遺族という物をひどく気にする。しかしあれは日本人独特のものであるとも聞いた。海の上で死んだ場合、その遺体を持って帰らなければならないのか。そしてそれは誰のためか。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail
address agatha@ivory.plala.or.jp
ホームページ http://www4.plala.or.jp/agatha/