1186「原爆、太平洋戦争の考え方」(87日(水)晴れ)

 

沖縄で米軍ヘリコプターが墜落し、一人が死亡した。

仲井間知事等はさっそく「一歩間違えば住宅に落ち、大災害、原因究明を。」と叫び、一方米軍は「刺激しないようにオスプレイの配備を当面延期」するとか。

しかしなにか違和感を感じる。今度墜落したのは、我々が危惧しているオスプレイではない。単なる軍事用ヘリコプターである。米軍が沖縄に留まるのは、もちろん中国などへの対応もあろうが、「同盟国日本を守る。」ということが主眼ではないか。それであれば、まずは今回の事故のお悔みを述べ、亡くなった米兵を追悼したうえで、自分の希望を述べることが筋合いではないか。

沖縄の考え方を私には理解できない。沖縄本土復帰の日を屈辱的な日と考えるグループがいるという。沖縄は本当に日本の一部でいたいのか。米国の一部であり続けたかったのか。あるいは中国の一部にでもなりたいのか。自分で軍隊を持ち、財政に責任を持つ、独立国になりたいのか。米軍基地問題について言えるのは「日本全体として基地負担の不公平」だけではないか。

私は一つの主張をしようとするとき自分の中で理論に整合性が取れ、納得できるものであるかどうかを考えてしまう。理工系の特色かもしれない。過去に起こった事象を否定することはできる。しかし否定するにはでは、どうあればよかったのか、と考えるべきではないか。

毎年この時期になると戦争絶対反対、原爆二度と許すまじ、の声が大きくなる。気持ちとしてはわかる。特に直接被害にあった人々はそう考えたいだろう。しかし戦争について言えば

@    どうしてあの戦争に至ったのか

A    勝てる戦争ではなかったが、負けた中に反省の要素はなかったか。

B    そもそもあの戦争がなかったとしたら日本はどういうことに成っていたか。

@    、Aは折に触れて述べたように思うが、問題はBである。

もし日本が勝ったり、そこまでゆかなくても途中で講和が成立し、民主主義体制が導入されることなく、古い天皇制が維持され、軍隊が権力を握っていたらどういう日本が出来上がったか、そしてそのような日本が、太平洋戦争終結から70年近くどのような道を歩んでいたか。

原爆についても同じである。「戦争を早く終わらせるために原爆を投下した。」という論理は決して軽く見ることができないと思う。

あの戦争は日本にとって外からもたらされた革命であった、と考える方が正しいように思う。多くの犠牲を払い、戦争に敗れた結果、日本人は反省し、新しい日本を再スタートさせることができたのである。私流にいえば、靖国神社で眠る英霊も原爆の犠牲者に対しても「新しい日本を築いてくれる礎になってくれた」と気持ちで一杯である。

人間も社会も、後から考えればどうしてそのような馬鹿なことをしたのか、と反省させられる時がある。しかしいくら反省しても「覆水盆に返らず」の譬えの通り、過去をやり直すことはできない。そこが科学の実験などと歴史が違うところなのかもしれぬ。

そしてそうした失敗、或いは成功の繰り返しの中で歴史という物が編まれてゆく。「国民は学ぶ」という格言も私は好きである。日本国民は太平洋戦争等の経験から多くのことを学んだ。それを礎として今の日本を作り上げた。

ときどきのその進路の決定は誰によってなされたか、と問う者がいる。外部の勢力等をのぞけば国民の意志によってなされた、と私は信じる。いや、権力者が勝手にやったことだ、と非難する者がいるだろう。しかし権力者も大抵の場合は国家として全体を考えてこうすればいい、と考えて行動したのである。そしてその権力者の意思決定のもとには国民の意志があったのである。太平洋戦争開戦の時に国民の大半が戦争に反対であった、などと言う事は出来ないのではないか。

少数意見を無視した、という者もいる。しかし国民の意志を考える時、少数意見も大事、とは言いながら基本的には多数決だ。それが皆の好きな民主主義ではないか。

平均的な日本人の考え・・・・そんなものがあるかどうか知らぬが、現在有るとすれば

「米国に守ってもらいたい。核の傘の中で守ってもらいたい。しかし独立者としての行動はとりたい。繁栄は謳歌したい。」

という事ではないだろうか。かなり虫のいい話ではあるが、希望としてはそうであろう。中国に守ってもらいたいなど考えぬし、自分の力で守りたいがそこまでの犠牲はなかなか払えぬ。沖縄も独立論がないとは言えないが、日本の一部として安全を確保してもらい、平和と繁栄を享受したい、という事ではないだろうか。そうであれば、在日米軍を一方的に非難するような言い方は間違っているのではないか。米兵の多くはアメリカの片田舎に住み、軍人として日本に来ている・・・・彼らにしてみれば「日本を守ってやっているのにおかしい。」と感じるのは至極当然と思う。

 

註 ご意見をお待ちしています。

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読者から次のメールをいただきました。

あの戦争の評価はいろいろあると思います。

問題は戦争の置き土産の憲法です。

欧米人は日本が独立したら、すぐ憲法を改正して自分たちのものを作ると思ったのでしょう。

あれは占領下の日本を想定して作ったものにしか過ぎないようです。そうでなくても少なくとも

状況の踏まえ方はそういうことだと思います。

戦争の放棄とか、軍隊を持たないというのは、外からの侵略は占領軍が対応するから

必要がないわけです。独立と同時に安保を結びましたのでこの考えは延長されましたが、

その後の国際情勢の変化には対応されていないとおもいます。米国もこの条約を金科玉条の

ように守り続けることはむずかしくなるとおもいます。

当時の吉田内閣では占領下の沖縄の米軍が攻撃された時には集団的自衛権の発動をするという

ことが言われていたようです。やがて沖縄が変換され、その事実は消え去りましたが。

その時は社会党も騒がなかったようですが、これは記憶違いでしょうか。

憲法解釈なんてそんな程度のものかもしれませんね。ふとそう思いました。