1217「本を売る」(11月20日(水)晴れ)
そろそろ身辺整理? 先日本を売った。800冊近く。
「女の遺品で困るものは衣類、男の遺品で困るものは書籍」と誰かが言っていた。
もともと推理小説などに興味があった私は、結構本を持っていた。
15年くらい前、父が亡くなった。父も蔵書家であった。趣味の洋画は若い時に二科展に入り、洋画を描き続け、晩年には創造美術と言うグループの幹事になったこともあった。杉並区の秋の美術展には出展要請が来た。其れほどであったから画集など蔵書も多かった。父の死後大半は処分したが、随分残っており、それを引き継いだ。ますます本棚がいっぱいになった。
その後も本は増え続け、満杯状態。友人の中に終末準備、つまり亡くなった後のことを考え、身の回りの整理を始める者が出始めた。あるものなどは、数冊を残してみな売り払ってしまった、という。その影響を受けて、私も整理しようという気になった。
古本屋は一度では持って行くことが出来ず、2度のわけ最後は15日に持って行った。価格は結局8000円くらい、つまり1冊10円の見当であった。本屋はこれらを仕分けし、売れればよいが、売れぬ物はそのまま古紙業者に卸すとか・・・・。
本の山を見ながら考えた。これらの本が自分の現在を築いてきたのであるからそれでいいのではないか、と思う一方、随分無駄な投資をしたものだ、と思った。私の所ではツンドクだけでそのまま古本屋に行くものもある。
本がなくなると随分すっきりした感じがする。特段の不便も今は感じない。考えてみれば推理小説など読んでしまえば手品の種明かしが分かったようなものでもう読む気の起こらぬ物かもしれぬ。
ぼんやりとこの次は何を整理しようか、と考えている。部屋をかたずけるには捨てるが一番、とも誰かが言っていた。物を取っておく性質は親から受け継いだものかもしれぬ。結構その傾向大の私。
お蔭で我が家は今は使わぬものであふれている。
布団・・・20年前、イギリスで買ったものだが使っていない。
旅行鞄・・・・・次から次へ買い替えた。
自転車、テレビ、ストーブ、亡妻の遺品、仏壇まである。
亡妻の遺品はお茶の道具が多い。もっとも彼女に大した収入があるわけではないから金目の茶碗などあるわけではないが・・・・・。
仏壇は父母の家にあったものと我が家の物、結局値の張る前者の物を使っている。
いつかはせがわに聞いたら「有料で引き取ります。」という。「有料とはこちらが金を払うのか、それともくれるのか。」と聞いたら「お焚き上げ料としていただきます。」と言われた。引き取ったものは燃やすという事らしい。
これらも負けず劣らず無駄な投資。
「金が無い、金が無い」とぼやきながら、無駄な投資を繰り返し、そしてゴミの山を築く・・
ケニア人の女性ワンガリ・マータイさんが環境問題と結びつけたもったいない精神を提唱してノーベル平和賞を受賞した。仰るとおりであるが、あれは得たものを使い切ることに力点が置かれているように思う。本当に大事なのは、最初から手に入れなければいいのかもしれない。・・・・もっともそれを言うと不買運動になり大量消費で成り立っている現代が持たないか?
人生そのものが無駄な事ばかりの繰り返し、とも思う。人生は選択を繰り返して、その選んだ道でもがき、次の分岐点に行く。その過程でエネルギーを大量に消費し、発散されてゆく。その繰り返しではないのか。後戻りができぬことが最大の特色だ。現在総理大臣であろうと、フリーターであろうと、いろいろ選択して進んできたその結果がそこに現れていると考えるべきと思う。
人生に目標と言う物があるのかどうか知らない。
しかしそれが仮に晩年に行き着く道であるとするなら、出発点と最終点を結んだ直線上を歩んで来ればもっとも合理的なはずだが、そうはゆかない。
物の整理の次は人生の総括かもしれない。これから先を自分自身どのように過ごすか、相続をどうするか、葬式はどうするかエトセトラ。
今日はガールフレンドのAさんと、昼食の後、古本屋に立ちよる。
「天地明察」という小説があった。本屋大賞を取った名作で楽しく読んだ。
「これ、あなた、持っていたわよね。」「ああ、売ってしまったよ。」「この春にいつか読みたいからと言っていたのに・・・・・。」後の祭り・・・・。行為の過程にはミスも随分紛れ込む・・・・。
註 ご意見をお待ちしています。
e-mail address agatha@ivory.plala.or.jp
ホームページ http://www4.plala.or.jp/agatha/