1237「「生き方のつけがボケに出る」を読む」(130()晴れ)

 

金子満雄。角川文庫。薄い薄い本である。しかも初版は平成8年、文庫になったのが平成13年。しかしいまだに書店に山積み(私が買ったときはとにかく・・・)されており、文庫も19版を重ねているからよいことを言っていると信じたほうがいいかも。

この本を読んでそうだ、と感じたことは二つ。

第一はタイトルのように「生き方のつけがボケに出る」という考え方。

800人以上にのぼる超100歳老人の実態調査、そのうち70人には家庭訪問し、各種知能テストまで実施している。その結果うまく長生きできた時に「高齢まで脳を生き生きと保ち、かくしゃくと生きること」は本人の努力と心がけ次第ではかなり実現性があるという。

私もできるならその年齢まで元気に生き、あるときぽっくり死にたいと考えている。

いわゆるGNP、元気、長生き、ぽっくりを目指しているわけである。

このGNPがいいことは、一つには本人のため、二つには子達のため、そして三つには社会のため、と考えている。

その百歳超老人の共通点

@    体が頑健で足腰がしっかりしていること。それぞれが自己流の体操や散歩などをやって努力していた。合言葉は「足腰がやられたらオシマイ」であった。

A    生きがい、趣味、交友があり人生を楽しんで生きておられること。テストの成績と趣味の有無は相関していた。社会を「長生きしたら、時代の変化がみられて面白い」で合言葉は「新聞を見亡くなったらもうこの世の人出はない」

B    高学歴の人が多かった。これは当時では意欲、好奇心、研究心の旺盛な人がおおかったからではないか。

C    積極的で自己主張の強い人。自己主張が強すぎて、多少、はたから迷惑な面がみられることもあった。しかし周囲も「かくしゃく長寿」と大目に見ているときが多い。

D    酒、タバコはやらない。食前に少しだけワインや酒をたのしむ人は結構いたが、酔うほどに飲む人はほとんどいなかった。

人の脳の老化がはっきりと姿を現すのは80歳の峠にさしかかった時であろう。80歳代を総じてみれば痴呆に入る人が52-54パーセントに相当する。

かくしゃくとしている人はほぼ全員が「脳をまだ現役で使い続けていることが分かる。会社を経営しているような偉い人だったりグループでゲートボールをたのしんでいたり、仲間と一緒に神社のおつとめを続けていたりする。逆に痴呆グループの80歳代は「もう仕事はすべてやめたし、趣味や生きがいは元々なにもないし、仲間との付き合いもない人」であった。

この論を延長して「自立していない夫、「寄生虫的妻」はボケる」、妻にみられる夫をボケさせる共通要因、家族の愛がボケを救う、親友が一人いれば人はボケない、そして脳が生き続ける限り、死ぬまで男は男、女は女など内容はタイトルに沿ったもので興味深かった。そして全く脳に刺激のない悠々自適の生活、荒野に一人ぼっちの寂しい人、独身息子と同居している老親、これらが対極にある人でボケる。

「右脳を使う人は、高齢になっても意欲が衰えない。」も参考になった。

左半球は言語能力、計算、理論などをつかさどるのに対し、右半球は基本的には感覚、知覚を介した情報を処理する。音楽、ゲーム類、絵画、スポーツ、感情的意思疎通など。

ここを十分開発しておくと感性が豊かで意欲があり、人との協調性があり、機転が利き、頑張りが聞くとよいことづくめだとか・・・・。カラオケもいいのかも。

長々とボケ対策を書いてきたが、気の付いたこともう一つ、それは著者の経験。

ボケに早く気が付き、その対策を取ることが必要であるという事。

ボケ医療の実態について著者は叫ぶ。「完全にボケきるまで手をこまねいて何もせず、もう治らない重度痴呆になってから言い訳のように医療関係者に都合の良いことだけをする・・・・そんな恥知らずのことを、これから痴呆の世界に入ってこようとする人たちに教えようというのか。」

我々患者の立場でいえば、もうボケてしまってからでは遅い、兆候が表れたら早く対策を取ることが必要である、との警告に他ならない。

最後にテレビ放送。ここ杉並区は孤独な独り住まいの老人が多いのだそうだ。ある婆さん、物が片づけられなくなりゴミ?のなかで暮らしていたが昨年ボヤ騒ぎを起こした。

私のアパートにも大正12年うまれの一人暮らしのおばあさんがいる。つまり91歳。入っていた時は亭主がいたがもうなくなった。心配なことである。

 

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