1238「「親の計らい」を読む。」27日(金)晴れ

 

曽野綾子。廣済堂。新書版。この本を読んで自分自身が吹っ切れたように感じた。読後の私の結論。「しょせん子供はもう他人になってしまった。倒れた場合はどうなるかわからぬが、少なくともそうなるまでは自分一人で生きねばならぬ。」

著者がいろいろな本に書いたことの抜き書き。コメントを入れながら目次順にまとめてみる。改めて考えがしっかりしており、文章のうまい人である、と感じる。

1教育はすべて強制から始まる

「人間に裏表は必要」「敬語を使えない親は意識の上で貧しい」「「うちはうちだ!」の思想」などは家庭教育の在り方をしっかり述べていてその通りと思う。何でも学校の先生や社会の在り方の責任にしたがる現代の風潮の中で重要なポイント。ただ我が家の家庭教育がどうであったか、と言われれば自信がない。共働きの場合と妻が専業主婦の場合は違うのだろうが、後者の場合教育は過半が妻の役目であったように思う。

2「子供の才覚」をやしなう

「あらゆる競争は不当な評価と冷厳な事実を突き付ける。子達たちにとって大切なのは前者に耐えられる精神力を作り、後者で自分のマイナス点を認識することである」(編集)

「勉強ができる以前に大切なのは生存能力を持っているか否かが大切。家事など家庭の仕事を子達にどんどんやらせるべきである。」(編集)

「どんな勉強しがたい状態でも、勉強できる人間をつくる」

「学問をするには犠牲を払うべきだ。つまり現実的には金を払わねばならない、という事なのである。・・・・・」

いずれもともすれば忘れられがちな教育の原点である、と思う。しかし現在は私たちが育ったころに比べてどんどんこの考えが忘れられてきているように感じる。

3「人間の原型」を教える

「物事には両面性があり、一面だけを見て否定したり、教育したりするのは誤りです。・・・・ロンドンの帝国戦争博物館には第一次大戦と第二次大戦をはじめ、ナチスもイギリスの軍隊も分け隔てなく展示してあり、「あなた自身の頭で考えるように!」と言うレリーフが掲げられていると聞きました。・・・・戦争を知らなければ平和について語れない、と言うのは非常に重要なことです。」

4親は子供にとって「土」である

「通常子供は褒められることと、叱られることの双方に親の愛情を感じる」

5子供に教育が必要なら、親にもそれ以前に教育が必要

「教育は、父母、当人、社会が共同して行う者であり、そのすべてが効果に責任を有する。親だけが悪いとか、社会が自分を裏切ったからダメになった、などと言うのは口実に過ぎない。自分の教育に責任があるのは、まず自分であり、最終的に自分である。」

「生の基本は一人である。・・・・限りなく自分らしくあらねばならない。それには他人の生き方を、同時に大切に認めなければならない。」

6「叱る」ことと「ほめる」ことは連動作用

「うまく褒められる人は上手に叱れる」

「キリスト教は性悪説である。・・・しかし性悪説は、決して人が考えるほど、陰険で悪い物ではない。性悪説を取る人ほど人を褒める・・・・」

「・・誰の人生も欠け茶碗だと思っている。健康、能力、性格など問題を持たない人はいないのだ。」

7代替のきかない個性を伸ばす

「最近教育者の間で、学校や個人の格差をなくそうということが当然のように言われている。・・・・しかしこの世に必要とされない才能などなく、格差そのものが個性なのだ。」(編集)

個性を生かして成功した人間の考え方、とは思うが、一面で当然とも思う。特に私たちのように物のない時代を生き、高度成長時代をたのしんだ人間としては・・・・・。

8親離れ、子離れ

「親が子にしてやれる最大のことは、子供に期待しないことかもしれない、と西田は思うことがあった。つきつめてみると、自分が死んだ後も子供が経済的に不自由しないようにしなければならない、とか、立派に自分の仕事の後をついでほしい、とかいうような望み位、滑稽なものはないという説に西田は賛成だった。自分が死んでしまって、もはや、それによって心いたむことがなければ、子供が犯罪者になろうが、金に困ってのたれ死にしようが、かまわない筈である。」

その通りであるが、私はこれまでなかなか割り切れなかった。良いアドバイスになった。

 

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