124「独り者の大晦日」(12月31日 晴れ)

明日は、今日の続きに過ぎないけれども、人間は雰囲気に影響されやすい。
正月が来るというので、たった一人の私も、庭を掃き清め、ガラスを拭き、障子を張替えた。

和室の掛け軸を替えることにして、亡くなった妻の集めたものを取り出した。
結局京都上京区にある日蓮宗妙顕寺というお寺の坊さんの書いた「水急不流月」と言うものにした。「みずきゅうにしてつきながれず」と読む。
意味の取りようはいろいろ考えられようが、私は「世の中の移り変わりは激しいけれども、真理は変わらない。」というような意味ではないか、と思った。あるいは「自分自身は確としたものを持ちふらふらしてはいけない。」という意味に近いのかもしれない。
「和」というものもあったが、なにか薄汚れていたのでやめにした。それに悪くはないがこの言葉は己が勝者になって、自分以下のものに説く語のようにも聞こえる。

我が家に泊まって歳を越す者はいない。
だからおせち料理など意味がない気がする。それでも生協で黒豆、田作り、きんとん、かまぼこなど買った。お雑煮の準備も整えた。

ガールフレンドのAさんも一人だと言うので一緒に年越しそばを食べた。
大きなエビを買ってきて野菜と一緒にてんぷらを作った。おかげで楽しい夕食になった。
そばもエビも味がよくなかなかだった。

おせち料理は元来は節会のおり、ことに五節句(1月1日、3月3日、5月5日、7月7日9月9日)のの正規の料理をさす。代表的なところは、一月は雑煮か花片餅だが、江戸時代の奥儒者屋代弘賢の「諸国風俗問状答」によると「組重の事、数の子田作たたき牛蒡煮豆等通例、其外何様の品候哉」とあるそうだ。年越しそばの由来はよくわからない。

恒例の紅白歌合戦、知らない歌手ばかりが続く。
世相を反映してか、落ち着いてはいるが、今ひとつ明るさにかける歌が多いように思った。どうせ馬鹿馬鹿しいなら、歌より美川憲一と小林幸子の衣装対決のほうが面白いようにさえ思えた。けれどちょうど風呂にはいっているところで見られなかった。

11時過ぎに床に入る。近くにある観泉寺という寺の除夜の鐘が聞こえ始めた。
108つの煩悩というのは具体的にはどういうものを言うのだろう。

以下少し元旦になってからインターネットで調べた話。私の日記は時々時空を超越するからこういうのもありなのである。

除夜の鐘の起源は中国・宋代のことらしい。日本には鎌倉時代に伝来したが、はやりだしたのは江戸時代から。108の除夜の鐘は、本来は12ヶ月+24節気+72候の合計である。108という数字は36,72などと共に中国では縁起のよい数字とされるらしい。

とにかく仏教そのものには関係がなかった。そこで仏教的解釈が始まった。
いわく一年を過ごすには四苦八苦するので、四苦の4*9と八苦の8*9の合計で108、三つの世界で起こる六つの煩悩と六識の組み合わせで3*6*6=108等々。

まあ、考え方はどうでもいい。それより煩悩を消し去ってくれる、と言われているが、本当は鐘の音は「この1年を反省し、自分の煩悩を顧て、それを消してしまえ。」と忠告しているように聞こえる。

観泉寺は、早めに行くと鐘をつく番号札をくれると言うので、今年は行こうか、とも考えた。しかしやっぱり寒い・・・・・。

ボーン・・・・おやすみなさい。よい年が来ますように。
2002年はいろいろあったけれど、鐘の音と共に過去のものになってゆく・・・・。

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