今年、我が家に来た年賀状は100枚前後だろうか。
子供の頃、年賀状と言えば版画と相場が決まっていたが、せいぜい4−5通で少ない。
一番工夫されているのは親戚のK君のもので、毎年2通来る。絵柄を丁寧に切り取り、糊付けすると羊の紙人形が出来上がる。もう芸術品とも呼べる。しかし感心はするが、その人の音信と呼べるものではないような気がする。
3割くらいが文章主体のものである。こちらも多くは、通り一遍で面白くない。
「旧年中はいろいろとお世話になり、どうもありがとうございました。本年もご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。」
昨年、一度も会っていない。今年もご指導、ご鞭撻など思いもよらぬ・・・・。
自分を含めた家族の近況報告が多い。これはこれで価値があるがここでは述べない。
自分の考えや時代に対する感想など述べたものを散見する。そういう便りはこちらにも何かを感じさせる。著作権等はちょっと失礼をしていくつか抜粋してみたい。
墨痕あざやかに書いてくれたのはA氏。彼はサラリーマン時代、公害問題に取り組み、僧籍に入ったと聞いている。
「体のくすりはいっぱい、いっぱい 心のくすりをのみましょう」
いいところをついている。リタイアした身となると体の健康以上に心の健康維持、あるいは発展が難しい、と感じる。
不動産会社社長のB氏は区議会議員をしていると聞いている。不動明王を背景に
「昨年は拉致、核疑惑、腹の立つ年・・・・・。
又李登暉氏の査察不発給、何故・・・・・。」
(暉が違うが、ワードで見つけられず申し訳ない。)
と印刷し、以後李氏の講演文原稿に戦後忘れていた日本人の心、精神を思い出し、21世紀のよき方向とせねばならぬと感じた、としている。
C氏はコンサルタントをやっており、いつも一言ある人である。
「20世紀が世界的に民主主義(多数決)が受容れられた世紀なら、21世紀は多数決では解決できない問題点、「恒常的少数者」問題を解決する、歴史的な世紀となるものと思われます。今年は未知なる物への挑戦の年と位置づけ果敢に取り組んで生きたいと思います云々」
そういう世紀になるのかなあ。具体的にはどういう結果をイメージされているのだろう。
D氏は同期であるがなかなかの論客
「日本は昨年も、関西空港のような沈没がとまらず、あちこちで浸水が始まっている様子ですが、幸い、個人レベルではまだ食べることに不自由はなく、気持ちの持ち方次第で「健康と文化的な生活」も可能だと思います云々」とし最後に
「小人閑居して、このような埒もないことを考えて暮らしております。」
何か、私とよく似ている。
E氏は私と同じ会社に勤めていた研究者である。
「地球環境問題をはじめ、イラク、北朝鮮、そして国内の閉塞状態と、多くの困難に我々は直面していますが、未来への希望を捨てずに、元気に生きたいと思っています。」
F氏はやはり不動産関係の仕事をしている先輩
「ノーベル賞ダブル受賞は昨年の明るいニュースでした。中でも田中耕一さんのスタイルは戦後間もない子供のころの、世相と田中スタイルの間にいる現在の私を思い起こさせてくれました云々」
感じはわかるが今ひとつ意味がつかみにくい。
観光ガイドをしているG氏
「最近、自信をもって、日本を紹介できなくなってきました!犯罪も急上昇!観光地はいたるところで、落書きや散らされたゴミ、繁華街には、沢山の理解しがたい格好の若者達!国の借金ももう破産状態とか?大丈夫かな?云々」
BからGについていえることは時代の捉え方とそれに対する考え方はそれぞれだなあ、ということ。
H氏「50台後半に入った身体は正直なものであちこち故障が生じ、無理が利かなくなりつつあるようです。」
I氏「健康維持のためのウオーキング、読書三昧の日々を送って居ります。」
Jさん「人生の後半に向かって歩き出す心境です。100歳を迎える実家の母と向き合う時間を大切に、と思っています。」
H−Jについては私も同じような感じをもち、そういう年代だなあ、と感じるのである。
でも結局はK氏の次の意見が私の共感するスタイルかな。
「「あるがまま」を素直に受け入れ、平穏な日々を送りたいと願っております。」
今年はプリントごっこで羊を印刷したが、来年は文章にしようか、とも考えている。
註 ご意見をお待ちしてます。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha