1269Aさんとの高級?な会話」(530日(金)晴れ)

 

Aさんと親しくなったのはどのような機会であったかもうよく覚えていない。同じ会社で1年先輩だが、年齢はタッチの差で私の方が上。私の出す通信、これにほとんど毎回コメントを入れてくれる。彼だけである。銀座天国(テンクニと読む、テンゴクと読んではいけない)で食事をしようという事になった。パンフレットによれば天国は

明治18年「天國」開業 (明治89年ころの銀座通り) 「銀座天國」創業の地は、銀座3丁目。当時の銀座は1丁目から4丁目まででした。まさしく銀座の真ん中に、小さな屋台店として始まったのです。当時の天ぷらは、今で言うファーストフード。揚げたてを並べる端から、お客様が指でつまんで召し上がる。何ともいなせな、忙しい料理の店でした。」

「銀座はどんどん変わってゆく。向かいの福屋という本屋もわが社の銀座ホールもいつの間にかなくなってしまった。」とAさん。そういえば松坂屋も跡地再開発中。16年秋に総合商業施設としてオープンするとか。

11時半開店。天ぷらの定食を食いながらの会話。私は少少ビールが入り、眠さをこらえるのに苦労した。いろいろ話題を提供してくれたが、すべて覚えているわけではない。

Aさんは太っている。それでも前にお会いした時よりはやせて見える。「私の妻が栄養士。いつであったか病院で食事制限をしろと言われた。妻は厳格にそれを私に守らせた。私は途端に20キロもやせた。妻が再び医者に相談すると「医者はどうせ患者がすべて守るわけはないと見越して厳しく言う。言う通りやったら死にます。」それから少し手を抜いてもらえた、という。

Aさんは中々の才人である。中国語も2年ほどやっておられたとか。

「中国語は巻き舌ができる者とできぬものによって随分発音が違う。そこで私は私の中国語の先生である小姐(シャオジエ)に聞いてみた。「巻き舌がうまくなるにはキッスをするといいそうですよ。先生、だめですか。」すると小姐は「それをお教えするには授業料が倍くらいかかります。先生も別の先生になります。」とあっさり逃げられた。」私も中国語の先生に聞いてみようかしら。ちなみに巻舌は中国語でチュアンシャというとか。

詩吟の話をしだすと「上杉謙信が「九月十三日陣中の作」を作ったと言うがおかしい。富山の海から越後は見えぬ。」など言う。

そして川中島の頼山陽については

「彼は子供の時から小説の才があり、そのころ壇ノ浦の合戦に材をとったエロ本を書いている。」

その本について脚本本が出ていると後で教えてくれた。壇ノ浦夜枕合戦記、宣伝によれば

「・・・・・そして、壇の浦合戦。栄華を誇っていた平家は惨敗し、生き残った女官たちは低い身分の源氏の武士たちによって生き恥を晒すことになる。・・・・・合戦で死に損なった貴女を犯す下賤な男たちという快楽の構図は、貴女をも喜びの世界にいざなう。「平家物語」の死生観をしっかりとらえておかなければ、最も高貴な建礼門院のラストのセリフがいきてこない。平家のなかでも天皇家と深い結び付きがある建礼門院。「俺の一物、神の怒にふれてち切れてしまうとでも」と恐れつつ建礼門院をサディスティックに犯していく源義経。性の快楽の中に天皇制批判のテイストも感じさせるシナリオである。・・・・・」

読んでみようかしらん・・・・。

Aさんは海外旅行などはもう行かぬ、という。好きな碁三昧の毎日らしい。

「お金なんか使いませんよ。いや、使えませんよ。」ともいう。お金を使うにはエネルギーがいる、私も時々そう感じるこの頃・・・。

天国の二階席からのガラス越しの見晴はなかなかいい。皆何を考えているのだろう。

ただ天ぷらは今一のように感じた。材料もそれほどでないし、パリッとしていない。

Aさん「パリッとさせるには材料を冷やしておくといいのですよ。」

食後に近くのパウリスタでコーヒーを飲む。ここも明治44年創業の、銀座ではつとに有名な喫茶店。

此れもパンフレットによれば水野龍という人が、開店した店。彼は笠戸丸で初の移民団長としてブラジルに渡った人。ブラジル共和国からブラジルコーヒーの一手販売権を得て開店した。ここに大正期文化活動の礎をきづいた人々が多く集まったという。Aさんの説によれば「銀ブラとは「銀座パウリスタでブラジルコーヒーを飲むこと」銀座の街を単にぶらぶら歩くことかと思っていた。パウリスタとはポルトガル語で「サンパウロっ子」あるいは「サンパウロの」の意。

しかし今は安いコーヒー店に押されるのか、あまり活気はないように見えた。コーヒー510円はこの辺では安いように思われた。

 

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