1271a先生との話」(68()雨)

 

「いい加減にしてくれよ。」と叫びたくなる。3日続きの雨。1か月分の雨がこの3日で降ってしまったとか。今年の夏は水瓶は大丈夫だろうが・・・・。

こんな日でも私はラジオ体操の会場である妙正寺公園に行く。

朝早く出かけることで一日を少しはしゃきっとスタートさせることができるように感じるからだ。雨は比較的小ぶりだったために10人くらい来ていた。その中にあの小児科のa先生。おん年、確か81歳。真っ白な上下の体操着が美しいくらい。私は、最近朝先生とハイタッチをさせていただいている。「今日も一日元気にやりましょう。」

TVの「官兵衛」の話題。「厳しい時代でしたね。右か左か決めねばならぬ。その結果で己はおろか一族郎党すべての運命が決まってしまう。今と違って情報は極端に少ない。そこでの決定はもう賭けのようなものだ・・・・。」

そんな話題から集団的自衛権の話になった。

私はこういう問題を考える時、とにかく自分として日本としてどうしたいか、という立場で考えることにしている。当たり前ではないか、というがこの意味はつまり法律であるとか、過去であるとかにこだわらぬ、という事だ。一方でできると言っても、それが良い方向に向かわねばならぬから、自分の置かれている立場を考える。そうであった方がいいと思っても出来そうもない、と考えれば現実と妥協失せざるを得ない。

「アメリカの属国みたいになりませんか。」

世界がみな平和主義者で、話し合いですべてが解決される状況であればそれでいい。しかし現実的に日本の周囲の状況を見渡して果たしてそうであろうか。日本は自力で国を守れるか。それが絶対的に可能であるならそれもいい。そうでもない様であるし、憲法が決めるからといまだに軍隊を持たぬなど言い張っている。どこかに頼らざるを得ない。アメリカしかないではないか。いつか自衛隊幹部が中国軍との交流の中で「アメリカに守ってもらうためにこんなに金がかかる。」と言ったところ「わが中国軍が半分の値段で守ってあげます。」と言ったとか。

「他国の戦争に日本の自衛隊が加担する・・・火の粉がかかりませんか。」

集団的自衛権について最近田原総一郎の取り上げていた例が記憶に残った。

「中国と対峙したとき、アメリカは尖閣列島を守る、と言ってくれた。守るという事はアメリカの立場に立てば、アメリカの集団的自衛権の発揮に他ならないのではないか。」

「集団的自衛権は国連で認められている。それを行使せぬのは日本だけである。」

そのアメリカが窮地に陥っても、日本は集団的自衛権は発揮できません、というのか。もちろん日本はアメリカに比べて小国であるから、世界のすべてに手をひろげるわけにはゆかぬが、地域やケースによっては協力するのが当然ではないか。

「文明の衝突」を書いたサムエルハンチントンは

「国際政治が多極化し、多文明化する、これからは文明間の対立がより鮮明になってくるとした。文明とは中華文明、日本文明、ヒンドウー文明、イスラム文明、西欧文明、ロシア正教文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明(存在すると考えた場合)である。
パワーを主体に述べるなら米国・ソ連の2極時代から、米国とそれぞれの地域の中核国をめぐる1極多極時代に移ってくる。・・・・・その中で日本は独立した文明圏であることは誇ってよいが、所詮は小さな文明圏で、東南アジアでは中国に継ぐナンバー2である。仮想ストーリーでは中国と米国が戦争になり、日本は両者の間をふらふらし、結局は中国につき破壊される。」

そんな大局観の中でどうすればいいのか。

先生はどちらかというとこれらの問題の質問者のようなお考えの様である。しかし先生はこういった私の意見にも耳を傾けてくれるのでうれしい。

「しかしこんな話を我々がしていても誰が聞いてくれるわけでもなし、しょせんごまめの歯ぎしりですなあ。」そんなことを言って別れた。

夜「官兵衛」落城した荒木村重とその妻妾眷属の話。私にとっては既知の話ではあるけれども涙を誘う。荒木村重は男の風上にも置けぬ男だが、毛利につくという大きな賭けをし、失敗した結果なのだ。やむを得なかったところもあるのかもしれぬ。

最後にひとつこぼれ話。江戸時代の有名な日本画家、岩佐又兵衛は、信長による処刑から乳母の機転によって生き延びた子孫のひとりとされている。奥方が処刑される時に乳母がそっと赤子を見せるシーンがあるがそれを指しているのであろう。

 

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