129「答えない大人たち」(1月7日 晴れのち曇り)

「人は人をなぜ殺してはいけないか。」
この問題を真剣に考察した小説がある。ドストエフスキーの「罪と罰」である。当たり前のようでいて実は難しい基本的な問題だ、と感じる。

その答えはともかくとして、われわれは外にも答えをださなければならない基本的な問題を抱えているように思う。のみならず、複雑化した現代ではそういう問題が増えている。しかしそれに対して答える努力をしているかどうか。

テレビの放映。
質問は「エン交はやっていないでしょう?」多くはうなづいたが、一人の生徒が後方でつぶやいた。「人に迷惑をかけなければいいじゃない?」
そのとがった質問に瀬戸内寂聴さんは一瞬とまどったようだった。
「自分を大事にしなければいけない。だってそんなおじんにもったいないじゃない。」
と寂聴さんは答えていたが、必ずしも子供たちは納得したように見えなかった。
「迷惑をかけている。お父さんやお母さん、それにあなたを支えた多くの人に。」とはっきり言うべきではないか。

現代の大人たちは子供たちの基本的な問題に答えられないでごまかしている。
「なぜ、勉強しなければいけないのか。」
昔は勉強することが将来よいステータスを得、多くの収入を得る道だった。だから「親のような暮らしをしたくなければ勉強しろ。」くらいで通った。しかし今はその結果が役人になって汚職でつかまり、公害企業で責任を追及され、もっと多くはリストラされ、時には就職口すら発見できなくなっている。そして一方では銀幕できゃっきゃ騒ぎ、あるいはグランドですりこぎ棒をふりまわして大金を得ている。それなら勉強しなくたっていいじゃないか、と考えたくもなろうというものだ。
しかしそうであっても「そんな疑問は勉強してから言え!」くらいに一括して欲しい。

大人たちはこういう問題に答えようとするどころか、目をそむけている。他人事と割り切ってしまっている、ように見える。

この前、新年カウントダウン前後の暴走族のはしゃぎぶりをテレビで放映していた。
渋谷の駅前に多くの若者が意味もなく集まり、大騒ぎをし、違法の花火を揚げる。裸になって飛び降りるものもいる。横浜のほうの高速パーキングエリアでは、自動車の後ろをスピーカーだらけにし、凄まじい音響で音楽を流すものがいる。自動車の屋根に乗っかり洋服を脱ぎ始める女がいる。一般車をたたいているものがいる。

びっくりする限りだが、それを子供づれで見物に来る夫婦がいるのだ。マイクを向けると「楽しいから・・・」そういう教育を受けた子供は、きっとこういうことを楽しいものと受け止め、大きくなったら同じ事をすること間違いなしである。
考えてみるとテレビ局もおかしい。一般市民に迷惑がかかると言いながら、暴走族ばかり英雄みたいに映している。これじゃあ、あおっているのと同じじゃないか。こんなに迷惑している、問題があると指摘すべきで考え方が間違っている。

C大学のある教授が最近若年層を中心に「社会的弱者」が増えている、と言っている。学校を出ても職がない、さりとて老人のように蓄えもない、年金もない、その結果がこれだ、何とかしなければいけない、と言うのだ。そういう層がこういう自己中心的で他人のことを考えない動きを加速するのだろうか。
しかし元はといえば基本的問題に答えられない大人たちの責任という気がする。

註 ご意見をお待ちしてます。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha