NHKの「クローズアップ現代」で北海道・カニはどこへ消えた、という放送を見た。
タラバ蟹やずわい蟹の値段が高騰している。店頭では2万円以上するものもある。
昨年2月末の悠三通信(48回目)にタラバ蟹を二杯買ってきて食った話を掲載した。このときは小さめだが2500円だったのだから、大違いもはなはだしい。
タラバ蟹等は大半がロシア船から北海道の業者が輸入しているが、実は密漁されたものが多い。一方で乱獲の影響でオホーツク海にいる蟹の量がひどく減少している。水産庁はロシアと協議し、資源保護のために、許可証のない船は港から追い返すことにした。おかげで市場に出る蟹の量は大幅に減少し、価格の高騰を招いた。
ところがロシアの密漁船に、韓国から売ってくれ、生きたまま引き渡してくれ、とのオファーが寄せられた。韓国は輸送に時間がかかることが問題である。しかし、漁船が集めた蟹を洋上で貨物船に移し変えることでコストを削減し、鮮度を保つことが出来ることがわかった。韓国とロシアの間に資源保護などの話はないし、輸入も制限しないから大通りである。今韓国はちょっとした蟹ブーム!二杯5000円くらいで売られているとか。
けしからんことか、この問題をどう捉えるべきか、どうも難しい。
インターネットで調べると「北海道の蟹の歴史」というのがあった。
江戸時代、高田屋嘉兵衛などによって、すでに北海4島の海域開発に手がつけられた。鮭・鱒、鰊、鰯、鯨、猟虎の漁場だった。鮭・鱒は灯油と肥料原料として用いられ、一部は塩蔵して本州に搬出され、食用となった。
明治になると鮭・鱒等の缶詰工場が建設された。しかし30年代に入ると衰退し始め、それまで厄介者として投棄されていた蟹に目が向けられだした。缶詰にすると肉質の酸化し、黒変する問題に悩まされたが、硫酸紙に包みこんで缶の内面と肉を遮断する方式が考案された。缶詰工場の7割が北方4島に設置され、外貨を稼ぐ花形産業に成長していった。その後日清、日露戦争を経て飛躍的な発展を遂げた。
大正期に入ると缶詰工場の自動化が進み、生産性があがり、さらに発展をとげた。
小林多喜二の「蟹工船」は、駆逐艦と共に出港した「蟹工船」での、労働者の抵抗の話だが、昭和初期の話である。
しかし太平洋戦争で、日本は北方4島を失い、カニ刺し網船は壊滅状態になった。次第に復興していったが、やがて旧ソ連主張の20カイリを越えて操業する様になり、カニ生産王国となる一方で、拿捕問題に直面した。しかし資源の枯渇から年々漁獲量が落ち込むなどしたところに、旧ソ連邦が昭和52年に200海里漁業専管水域を主張し、漁場から締め出されることになった。後は少数の水産加工会社が近海で漁獲される蟹を取り扱うのみとなった。しかし旧国鉄の貨車輸送に変って、保冷車による生きたままの発走が可能になり、高級食材としての広がりを見せた。
一方で、ペレストロイカ政策、平成3年のソビエト連邦の崩壊により、北海道では旧ソ連およびロシアからの輸入が年々増加するようになった。今ではアラスカ、カナダ等からも輸入され、輸入物が消費の過半をしめるにいたっている。おかげで稀にだが我々庶民の口にも入るようになったのだが、当局の取締りで・・・・・。
つまり、歴史的に見ると、明治になって運送技術、冷凍技術の発展と共に人々の口に上るようになった食材、驚くほどうまいが、食えないからといって大騒ぎする商品ではない。日本人として目くじらたてる必要はまったくない・・・・。断然、武士は食わねど高楊枝を決め込むことにした。食いたければ韓国に行けばいい!
ガールフレンドのAさんが言う。「悔しいわねえ。私はもう蟹はたべないわ。」
私は「それは食べられない、というのだろう。」と茶化す。・・・・デモね!
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