1319「「こんな長寿にだれがした。」を読む」(12月13日(土)晴れ)
著者ひろさちやは、1936年生まれ、78歳。東京大学文学部印度哲学科卒の宗教評論家、という事だ。中身はともかくこの本のタイトルが気に入って買ってしまった。
まことに年を取るとはいやなもの。江戸時代の禅僧千崖の歌から
「しわがよる、ほくろがでける、腰曲がる・・・・・心は曲がる、欲深くなる、くどくなる、気短になる、愚痴になる、出しゃばりたがる、世話焼きたがる、またしても同じ話に子をほめる、達者自慢に人は嫌がる」・・・・みなさんはそうなってないでしょうね!
挙句の果てが、冒頭の話「住職が檀家の家を訪れたところ、孫がおばあちゃんにむかって「おばあちゃん、お寺はんが来てくれはったんやで、はよ死ねや。」という。後でおばあちゃんに聞いたところ実は「息や孫がそう言い聞かせているのだ。」という。
現代社会がおかしいようにも見えるが老人の方にも問題がある。
たとえば(お前たちを住まわせてやっているんだぞ)(だからお前たちは私の面倒を見るべきである。)そんな風に考えて威張り腐っているのではないか。
全体言わんとするところは
「私は「年寄りがいつまでもでしゃばるな!人々はそう思っているのではないかと、ちょっぴりびくびくしている。しかし最近の日本人は、其のびくびくをなくしてしまったようです。年寄りが社会の「老害」になりかねないことを忘れて、おおきな顔をしてのさばっています。」
そして観光地にでも行ってみるがいい、少し金を持った老人であふれかえっているではないか、そして周囲の人から顰蹙を買っている。
本来老人は「老人の仕事は若者たちがもっていない「知恵」をおしえることです。」
「自分のさなざまな生活の知恵を授け、又孫の世話をする。それがおばあさんの役割であり、存在理由である。」というような書き方である。
全体をとおしてみると矛盾が多く、言いたいことばかり繰り言を述べているという風にも取れる書である。しかし、完全な人間と言う者はいない。いろいろな人の意見を聞き、それを自分なりに解釈して利用したい。以下本書と自分の考えを並べながら対話するような気持ちで書いてみる。
自分自身の命について
「老化現象を治療する必要はない。」
「寿命のある限りは生きるべきだと思っています。だから安楽死などに賛成できません。でも寿命が尽きたら死にたいのです」
(胃瘻など好ましくなく)「口から食べ物や水分を取れなくなったらその人の天命は尽きている」
私自身も実はそのように感じている。
「のんびり・ゆったり・程々に生きるのが最大の幸福だ。」
これはその通りと思う。少し経済的にも精神的にも楽である向きには進める。
しかし著者が一方でいう「あくせく・いらいら・がつがつ生きねばならぬのが不幸」は疑問。
私はPPC(ぴんぴんころり)新GNP(元気長生きぽっくり)を支持する。そうすることが社会にとっても子達にとっても自分自身にとっても幸せをもたらす、と考えているからだ。
・・・・・弱って愚痴ばかり言っているから冒頭のような結果になるのだ。
「人生に目的を設定しないのが、キリスト教や仏教のおしえです。」
その通りと感じる一方で、若い内からこんなふうであったらろくな者にはならないだろうな、と考える。なるほど人生は路傍の花を見つけて歩くようなものかもしれぬが、見つけようとする瞬間には明快な目標を持って全身全霊をつくす。必要なのではあるまいか。
目標というのは自らが作るものだ。作らないでその日その日にながされてしまってはいけないのだと思う。もちろん仏教やキリスト教も否定しないと思う。
「現在の自分を不幸だととらえているから幸福を求める。だから幸福を求めることは、自分を不幸にすることです。」
「死ぬまで健康でいたいなんて考えないこと。はつらつ老人を願わないこと。そんなことを願えば、老いた自分を毛嫌いしていることになります。」
誰であったろうか、「生涯一兵卒」、あの考えはやっぱり重要ではないか。「こんな長寿に誰がした?」ではなく己が目標とするから、幸い幸運に恵まれて、今のような長寿を得ることができたことを忘れてはいけない。
最後に著者は同じシリーズで「終活なんておやめなさい」という本も上梓しているようだ。読んだわけではないが考え方はこの本の延長と考えればわかる気がする。
註 ご意見をお待ちしています。
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読者からいただいたメール
1
お話の仙腰a尚でしょうか。臨終のときに弟子がまわりに来て、高僧の最後の言葉を聞きたいとあつまりました。最後のお言葉を言われた
高僧は「しにたくない」といったそうです。弟子たちは最後の立派な言葉を聞きたかったので再度お願いすると「ほんとにほんとに死にたくない」とか
言ったそうですね。小生も70をこえ、いつも死にたいと思っていますが、最後になるとそうなるのでしょうか。そうかもしれませんね。
2
今年も後、数日ですね。貴重な通信を沢山頂き有難うございます。
人は誰でも何時かはあの世に行きます。
どうして人は死ぬのかということに関して、日高隆敏という動物学者の本(タイトルは忘れました)に遺伝子が個体を支配しているとありました。
遺伝子は自分のずっと存続することが目的のために、若い個体が子供を作るように仕組んである。若い個体は元気があり、遺伝子は次の世代に生き続ける。だから年寄りは遺伝子を引き継げないようにプログラムされているというものでした。また、男と女という組み合わせで遺伝子が存続するというのは、バクテリアのように単細胞で増殖する方が、自分の遺伝
子を次世代に残すのには有利のように見えます。しかし、環境の変化などで、単細胞生殖すると、全滅してしまうリスクもあるので、オス・メスの交配を仕組んだと言っていました。
これだと、長寿は意味がないように思われますが、五木寛之は数年前に「下山の思想」を読むと、そうでもなさそうです。
年寄りは登山に例えれば下山の状態だ。登山には3つの目的がある。・山に登る、・頂上を極める・下山する
社会には色々なジェネレーションの人間が共同して暮らしています。若い人たちは下山の状態を知らないので、年寄りがそこでの経験や留意点を伝えていく。
社会が同じような間違いを繰り返さないようにシェルパの役目もあるのかもしれません。
内容をあまり覚 えていませんが、年寄りは一つの山を下山したら、終わりということではなくて、また別の山に挑戦するというようなことだったかと思います。