1333「キューバ旅行下調べ」(2月2日(月)晴れ)
明日から弟と8日間のキューバ旅行。
フロリダ州の先145キロにあるアメリカではじめて成立した社会主義の島国。
面積11万平方キロ、人口1100万人。首都ハバナに200万以上が住む。
ウイキペデイアを引用しながらまとめてみる。
「キューバ島の長さは、西端のサン・アントニオ岬から東端のマイシ岬まで約1225km、南北の距離は最大250kmから最小35kmで平均値は80kmと、東西に細長い形状をしている。島の4分の1は山岳地帯となっている」
「キューバの気候は亜熱帯性海洋気候、年間の平均気温は摂氏25.5度、夏の平均気温は27度、冬の平均気温は21度であり、夏には東風・南東の貿易風、冬には北東の貿易風が吹く。夏には気温のみならず、湿度も80%前後にまで上昇する。」
1492年コロンブスの第一次航海で初めてヨーロッパ人に発見された。
スペイン人によって支配され、砂糖産業と奴隷産業が盛んであったが、一方でスペインと中南米の中継地点として栄えた。
19世紀初頭に独立。アメリカ人がスペイン人を追い出し、アメリカの保護国となった。
またアメリカは1903年にグアンタナモ湾を永久に借した契約を盾に、現在に至るまでグアンタナモにアメリカ海軍の基地を置き続けている。
1936年にバテイスタが政権を握り、1952年のクーデターを経て、親米独裁政権をきづいた。しかしチェ・ゲバラとともに乗り込んだカストロが3年にわたる戦闘の末、バテイスタを追い出した。
「革命軍はハバナに入城し、キューバに革命政権が誕生したが、その際に革命政権は、発足後数週間の内に軍事法廷で旧バティスタ政権関係者を裁き、およそ550人を処刑した。その後、2月半ばにフィデル・カストロが首相に就任すると、革命政権は一連の農地改革法を実施し、砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れ始めた。また、製糖業などでアメリカ資本に握られていた土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国の建設を推進した。この過程で、医者をはじめとする中・上流階級の多数の人々がアメリカなどへ亡命した。」
「アメリカに敵視された革命政権はソビエト連邦に接近し、1960年にソ連と正式な外交関係を結んだ。アメリカ政府との対立が決定的になると、キューバ政府は国内からのアメリカ企業の排除に努め、アメリカ資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化した。」
そしてこの流れはケネデイのキューバ封鎖へとつながる。
「1962年2月3日にアメリカのジョン・F・ケネデイ統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を行うと発表した。同年、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、核戦争の危機となったが米ソの妥協で危機を回避する事態が起きた(キューバ危機)。これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化したが、1965年にアメリカとキューバは、反体制派キューバ人のアメリカ亡命を認めることで合意し、1973年までに26万人以上がキューバを去った。」
以後キューバは第三世界非同盟外交に基づいて世界革命を推進し、アフリカや中南米に出兵したが失敗に終わった。映画「トパーズ」はこの辺を題材にしている。
「冷戦が終結し、1991年にソビエト連邦が崩壊すると、それまでキューバ産砂糖とソ連製の石油をバーターで取引してきたキューバの経済構造の基盤は大打撃を受け、経済はかつてない規模の衰退に陥った。経済崩壊状態に陥った。キューバから脱出すべくイカダ(バルサ)でアメリカ合衆国のフロリダ州を目指して亡命を図るバルセーロスと呼ばれる人々が増加し、亡命を希望しなかった人々の間でも1993年に米ドルの所持が解禁されたため、米ドルを持てるものと持たざる者の間に微妙な差異が生まれ、それまでの平等主義体制に亀裂が入った。」
2008年フィデル・カストロが退任、弟のラウルが国家評議会議長に選出された。
「ラウルは就任早々、規制緩和を次々打ち出し、一般国民の携帯電話所持やホテル宿泊、家電製品購入などが自由にできるようになった。」
「アメリカ政府の発表によればキューバ人一人あたりの月収は15ドルほどである」
そんな事情もあって、最近アメリカとの国交回復、それによる観光収入の増大等により国家を立て直そうという動きが具体的になってきているようだ。
公用語はスペイン語。大分発音が違い、聞きづらいようだがNHKのテキストをひっくり返して復習している。ハバナとその周辺だけであるがカリブ海もそこに浮かぶ社会主義国も初めての体験、生かしたいと胸を躍らせている。
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