1344「会社の後輩、a君の死」(318()晴れ)

 

信州一泊旅行から帰って翌日、高円寺でa君の告別式。68歳、若い。明るい、スカッとした感じのいい男であった。死因は静脈剥離とか。朝起きてふらりと倒れてそのまま他界してしまった。まさに突然死。

男の一番素晴らしい人生は退職後に始まると言われる。暇になり、金銭的にも余裕ができるからだ。彼もその伝に漏れなかった。民謡をよく練習しているらしかった。水彩画を趣味とし、ときどき車で出かけて描いたいろいろな場所の作品を送ってきてくれた。それらの発表の準備をしている最中であったという。

真言宗の葬儀の後、遺族を代表して息子さんが挨拶していた。

水彩画をメールで送ってくれるときに、同時に送っている人物がいた。b君である。彼は冷暖房で私の部下であった。3歳ほど私より若い。その彼になぜa君が水彩画を送るのか知らなかったが、同期であったそうである。彼とはここずっと疎遠であった。しかし彼が一番に私にメールで知らせてくれた。

再開、帰りに久しぶりに飯でも食おうと中野サンプラザ。

優秀な男であった。いつの間にか技術士で工学博士になっていた。数人の仲間と起こした会社の名刺までよこした。技術コンサルタントのようなことをする仕事らしい。

もっとも私には優秀過ぎて私の課はいつも彼ばかりが目立った。

冷暖房という職場であった。もう30年も前の話になるのであろうか。

ガスをたいて冷房をするというと知らぬ人は不思議に思うかもしれぬ。しかし化学式ヒートポンプとして広く知られる方式で多くの工場やオフィスで採用されている。

私はほとんど知識なしにその課の課長になったが、彼はもう何年か経験があり、良く知っていた。その辺が差をつけられた原因かもしれぬ。テニスをいっしょにしたこともあった中であったが、なんとなく疎遠になっていた。

奥様が病気がちで今は奥さん対応の用事が多いと言っていた。

一時危なくなったときもあり、その時を振り返って

「彼女が亡くなった時のことを考えると、急に何もする気がしなくなった。女は伴侶が亡くなっても悲しみを乗り越えて行くけれど、男は弱いですねえ。だめですねえ。」

「私の妻は亡くなってもう20年になる。同じ気持ちだった。ただし私はうまい具合にガールフレンドを見つけることができた。それでここまで来られた。」

「おや、あの元気であった奥さん、亡くなられたのですか。」

そういえば、そのころ武蔵野園でいっしょにテニスをしたのかもしれぬ。あのころは皆元気でb君、後に社長になったc君、d君などとプレーした記憶がある。

「でも考えてみればいい会社に勤めた。戦後一貫して発展し、大きくなり続けた。合併だの吸収だの倒産など、そんな危機は全くなかった。みな定年後は優雅な生活をしている。」

「流動資産が日本の場合1億以上、アメリカの場合100万ドル以上が金持ちというのだそうですよ。日本の場合はそれが10%もいない。わが社の連中はかなりいそう・・・。」その通りである。OBの会に行くとよくわかる。みな腹が出てそれなりに満ちたりた顔をしている連中ばかりだ。

株を少しやっていると言っていたので少しばかり情報交換。「株は非常に良い。あれをやることによって政治や経済に嫌でも目を通すようになる。」その通りと思う。債券や投資信託も同じだ。何故株が上がったか下がったか、為替はどうか、考えればいくらでも勉強の種はある。

「相続は大変ですよ。対策なしで行くと其れを巡って必ず争いになる。」

私の場合、弟とアパートを経営しているというと

「財産共有でしょう。大変ですよ。」と少少余計な忠告。「土地はとっくに分けてあるよ。」と言ったものの、兄弟間は別として、子達対策はまだこれからである。

いろいろややこしい、そういう年齢になってきたのかもしれぬ。

私も彼も結局は平凡な当たり前の男になって晩年をむかえるな、と感じながら帰路につく。

元気そうで何より・・・・。「リニア新幹線の開業までは元気でいたい。」と言っていた。あと12年、私はもうすこし欲張りで、最大20年が目標。その時93歳。変な病気や事故は来るなよ・・・・。

だんだん訃報など寂しい話を聞くようになる。歳を取って一番寂しくなることは同年代に話し相手がいなくなることかもしれぬ。冥福を祈る。しかしもっと生きて居たかったろうなあ。

 

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