1346「「資本主義の正体」を読む」(3月27日(金)晴れ)
なかなか難しい本で良い勉強になった。引用を繰り返しながらまとめてみる。
池田信夫著。1953年生まれ、東京大学卒業後、NHKに入社。報道番組に携わり、93年に退職。池田信夫ブログのほか言論サイト「アゴラ」を主宰。近著に「日本人のためのピケテイ入門」・・・
(世界史を俯瞰すると)最近ではむしろ歴史の大部分において、アジアが先進国だったという見方が多い。・・・・ヨーロッパが中国を逆転したのはここ二百年ほどの現象なのだ。・・・人類のほとんどの時代で一人当たり所得は300-800ドルだったが、1800年ごろから指数関数的に伸び80倍以上になった。「なぜヨーロッパが爆発的に膨張したか。」
産業革命によって蓄積した資本による植民地支配、新大陸の発見、植民地の拡大による土地の拡大と安価なエネルギーの供給、所有権が国家によって保障されたこと、株式会社によるリスク分散制度、都市化、市民革命によって市民が主人公になった、科学技術・・・・どれか一つというものではないが、逆に言えばこれだけいろいろな条件が18世紀のイギリスにそろったために資本主義という奇跡が起こった、と著者は言う。
一部を説明すると、アジアでは土地と労働力が水のように豊富だったので、主要な産業は労働力を浪費する農業だったが、18世紀のイギリスでは労働力が希少だったので労働節約的な技術が発達した。特にロンドンは高賃金であったが、これには黒死病の影響などが考えられる。一方で保護貿易により毛織物工業等が盛んになり、食糧以外の消費財産業が増え、工業化が始まった。
更にヨーロッパにあって中国やアジアになかったもの。それは戦争だ。ヨーロッパは慢性的に戦争を繰り返し常備軍や歩兵を持つための産業を発展させた。19世紀に西洋が急速に成長できたのは、彼等がその軍事力で世界中を侵略し、収奪した富で自国を工業化した(からだ)。(87p)
特にイギリスでこれが発展したのはブルジョアジー資本主義ではなく、伝統的な特権階級による
ジェントルマン資本主義であったという。ジェントルマンは金融・サービス階層性の頂点に立ち、政府と同じ階層の出身であり、その利害は一致していた。彼等は保守的だが決してリスクを嫌ったわけではない。大土地所有を継承し、巨額な資本を海外に投資、高いリターンを欲した。その結果が発展し、18世紀には更なる飛躍の条件を整えたというべきか。
この過程でもう一つ需要なのはキリスト教の果たした役割である。近代になってキリスト教は世俗化され、ローカルな部族を越えた統一的な価値観を強制した。教会法をもとに市民法が次第に制定されていった。そして「神の秩序」から「法の支配」へ時代は変わっていったのである。法という抽象的、非人間的権力によって近代国家が生まれて行く。
このように資本主義は血と油をたぎらせながらこの世に生まれたものだ。また植民地で蓄積された資本が生み出したものだ。・・・マルクスのいう資本主義の原罪である。・・・・特に18世紀にイギリスの成長率が上がった原因はいろいろ説があるが有力なものは奴隷貿易である。やがてアメリカでも家父長的だった奴隷経済が商業的な搾取システムに変わっていった。
・・・奴隷貿易は一方では資本蓄積を可能にし、他方では労働者と生産手段を切り離して、資本主義の言う「永遠の自然法則」を解き放った。(89P)
マルクスは労働者が資本家に従属せざるを得ないのは資本の所有権が原因だとする。・・・これはグローバルにも適用され、近年は国家間にも言われるようになった。(89−97p)
ただしマルクスの思想を「社会主義」ととらえて、「資本主義」と対立するものと考えるのは、誤りである。彼の思想はアソーシエーショニズムであり、これは市場主義と共存できる。・・・日本の農村は村落共同体による協同組合であり、これは近世に市場経済と融合して発展した。日本型資本主義が成功した原因は、資本主義とアソーシエーションを巧みに接合したことである。しかしそれはマルクスの想定した「自由の国」ではなかった。・・・・果てしない人間関係の調節が必要になり、タコツボ化した組織の合意で意思決定を行うと部分最適にはまり込んでしまう。(220Pあたり)
そしてこれからの日本について「日本が「ものづくり」で輝く日は二度と来ない」、「ビジネスの中心はサービス業に移ったのに対し、日本メーカーはの変われない。」などとしている。日本の産業をG(グローバル)型産業、L型(ローカル)に分けて論じ、前者はグローバルな収益を上げればGNIは上がるだろうが、雇用は増えない、取り組むべきは後者である、としているがこの辺は著者の主張と読むべきか。(246Pあたり)
最後に次のフレーズが印象に残った。そして著者自身高位所得層に属し、この著はその上でのものの見方である、と感じた。
「幸福はカネでは買えない。幸福度は所得が急速に伸びる発展途上国では所得と共に上がるが、年収一万ドルを越えると相関が弱くなる。4万ドルを越えると相関が無くなり、家族や名誉など他の要因の影響の方が強くなる(254P)」
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読者からいただいたメール
ヨーロッパの歴史の本に、興味深い話が載っていた。
一般に科学技術というが、自然科学と技術とは、内容も発達過程も全く異なる。
ほとんどの技術は、ヨーロッパではなく中国で芽生えた。一方自然科学はヨーロッパのみで発達した。
産業革命の3大発明は、火薬、羅針盤、印刷技術だと言われているが、それらは中国で何世紀も前に発明されていた。
しかし、自然科学の基礎がなかったために、それら技術が体系化されて更に大きく進歩することはなかった。
自然科学は、16世紀のコペルニクス、ガリレイ、ケプラー等から始まり、18世紀前半のニュートンまでで基礎が固まった。
この自然科学をベースとして、ヨーロッパで多くの技術が飛躍的な発展を遂げて、18世紀以降、ヨーロッパ諸国が世界を制覇した。
なぜ自然科学はヨーロッパでのみ発展したのだろう。
自然科学は本来、「神が創造したこの自然には秩序があり、法則がある、という信念の下、これを観測と実験に基づいて発見し、数式で
表現しよう」という欲求から生まれたそうだ。ギリシャ哲学の影響の下で論理体系されたキリスト教神学の一部門として登場した。
多分、この時代の最高の頭脳集団が、教皇や皇帝の庇護の下に、当時の最高の学問であった神学の一部門としての自然科学に没頭したのだろう。
地動説だけはキリスト教の教理に反するとして弾圧されたが、ほとんどの自然科学の法則は絶賛され、技術発展に大いに寄与した。
一方、仏教では、自然は神が創造したものとは認識されず、真言密教などでは、自然の中に完全に同化することが追及された。
私の想像では、東アジアは土地が肥沃で、雨も多く、自然に恵まれている。したがって、この「自然の恵み」を利用して、農耕地を増やすための灌漑技術、薬草の知識、種えお蒔く時期の判断等を習得することに努力したのだろう。食糧も基本的には足りていたので、戦争も起きなかった。
それに対して、寒冷で水も不足していたヨーロッパの人たちにとっては、自然は「脅威」であった。それに対峙するために「自然観察」が必須だったのではないか。ヨーロッパは慢性的に食糧不足で、食糧争奪のための戦争が絶えず、戦争に負ければ殺されるか奴隷にされるという過酷な世界だったのではないか。この自然環境とキリスト教が西欧の自然科学発達の背景ではないかと推測している。