1351「朝日、夕日、東、西」(416()雨)

 

中国語のレッスン。最初に雑談をする。

朝日はこれから発展するものとして大変喜ばしい物とか。「朝日を浴びて」は「沐浴朝陽」、「迎着朝陽」などというとか。特に前者は朝日を浴びる感じの出ている言葉と思う。

西陽とはいわず夕陽という。「夕陽無限好」であるけれども「只是近黄昏」で好かれない。

夕陽落西山、日出東海という。夕陽落西海とは言わない。これは世界中に行ける現在なら当然のことなのだが、中国に身を置いて考える場合には西は山、東は海であったのだろう。

先生は、聖徳太子の「日出る国」の話は知らない様子であった。簡単に説明すると先生は「中国の王様が怒るのは当然だ。「これから発展する国から没落してゆく国へ。」と言うようなものだ。」という。授業も楽しいけれど、雑談を繰り返すと中国人と日本人の考え方の違いが少しわかるような気がして楽しい。

わが家に戻ってウイキペデイアで調べてみる。

「隋(581-618年)は、魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。」

「遣隋使とは、推古朝の倭国が技術や制度を学ぶために隋に派遣した朝貢使のことをいう。600-618年の18年間に5回以上派遣されている。」

問題の書は607年に小野妹子による第二回遣隋使派遣の折である。

「倭王から隋皇帝煬帝に宛てた国書が、「隋書・東夷傳?國傳」に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書き出されていた。これを見た煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿(こうろけい)に「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたという。」

「小野妹子(中国名:蘇因高)は、その後返書を持たされて返されている。煬帝の家臣である裴世清を連れて帰国した妹子は、返書を百済に盗まれて無くしてしまったと言明している。」

調べてみたことは話したくなるのが人情。ガールフレンドのAさんに話すと

「なぜそんな事で怒るのだ。地球は丸いのだから、東も西もないではないか。朝と夜は順に来るではないか。」地球は丸いなんてわかったのはこれから1000年もたってからだ。このころは日本と中国は同じ平面上に並んでいたくらいに考えていたはずだ、と思い至った。

この話を高校同期の友人a君にすると、話が飛んで

「なぜ極東というのだ。アメリカから見れば日本は断然西にあるではないか。」と言い出した。もちろん極東という概念がヨーロッパ中心に考えた話であるからだ。これもウイキペデイアを抜き書きすれば、

「古来、ヨーロッパではその東方を、近東(Near East)・極東(Far East)に大まかに区分したが、19世紀の植民地獲得競争の過程でイギリスなどにより中東(Middle East)という概念が生み出されて、これを加えて三分されることとなった。近東はバルカン半島からトルコ、エジプトにかけての地中海東岸域(オスマン帝国領域)、中東はアラビア半島からアフガニスタン、パキスタン、インド、新疆ウイグル自治区、 チベット自治区、青海省にかけての地域であり、極東はそれ以東から日本にかけての地域を指すことになる。」

「日米安全保障条約第6条(極東条項)においては、極東の範囲を「大体においてフィリッピン以北、日本及びその周辺地域」と定義されている。なお、日本の解釈に基づくこの場合の周辺地域には、韓国及び台湾も含まれると解釈される。台湾の領有権を主張する中国はこの条約における極東の定義について反発している。」

どの民族もみな自分中心で物を見、考えることは違いないようだ。

授業に話を戻す。中国人の家に行くと福の字がさかさまに書いてある。

あれは倒と到は同じ発音で、倒は到に通じる、福が到来しますようにという洒落だとか。

数字の八が好まれるのは、八が発展の発に似た発音であるからとか。

授業の後の個人レッスンでAIIBに日本が参加すべきか否かの話が出た。世界の中心を昔は欧米ではヨーロッパ、アジアでは中国と考えてきた。中国は国力が増した今、できれば世界の一方の中心に帰り咲きたい、という希望であろう。そのために日本の協力と金をあてにしているようだ。利用されるだけではかなわぬが、さりとてしょせんは極東の小国の日本は、逆さの福を手に入れるためどうするべきか。

 

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