1362「バルト三国とポーランド旅行」(62日(火)晴れ)

 

友人と団体旅行でバルト三国とポーランド10日間の旅に参加し行ってきた。

どんなに暗い国に行くのだろう、と思っていたが、どの国もそれなりに豊かで、自由を満喫しているように見えた。どういうわけか美人が多く、楽しかった・・・・しかしポーランドのクラクフからオシフィエンチムに行って楽しい気分が半減した。

「ドイツ人は合理的で髪の毛で軍服など作ろうとしたようです。」

ガラスケースの向こうには半分白くなった乾いた髪の毛の山。

つづいて靴の山、眼鏡の山、カバンの山・・・・・。

アウシュビッツ強制収容所跡。今は記念館のようになっているが、かってあった状況を、できるだけ忠実に残そうとしているように見える。

「彼等は新天地に向かうのだと教えられてこちらに列車で運ばれてくるのです。すると「手荷物は後で届けるから置いて行け。」と言われる。そのようにすると次に待っているのは選別です。ドイツ人医師が指を上に向けるか、下に向けるかでガス室行きか強制労働ゆきか決まってしまうのです。妊婦は真っ先にガス室行き、女、子供、老人皆そうなります。」

「手荷物が本人のもとに変えることはありません。すぐに選別を命じられたユダヤ人がやってきて金目のものをえり分けるなどするのです。」

「やがて彼等はシャワーを浴びるように言われる。しかし大勢入ったシャワー室の蛇口から出てくるのは水や湯ではなく毒ガスです。チクロンというものでもともとは殺虫剤として使われていたものです。」

この前にビルケナウの収容所跡を見た。アウシュビッツが処理能力が足りなくなって拡張されたところ、アウシュビッツの何倍もの大きさがある。引き込み鉄道跡を伝ってゆくと見張り台、左右に鉄条網を張り巡らせた柱の壁が立っている。左側女子棟が長屋よろしく何棟も残されている。右側の男子棟は木製だったため壊れてしまったとか。

長屋群は鉄条網でいくつかに区切られている。「収容されている者同士が連絡を取り、行動することを恐れてこうしたのです。」ドイツ人の考えはあくまで合理的。

巨大なガス室は、ドイツ軍が撤退するときに爆破していったそうで、その残骸が見える。鉄道の引き込み線を終点まで行くとアウシュビッツと共にここを世界遺産にするユネスコのプレートが立っている。二つの収容所で殺されたものは130万人、9割はポーランド系ユダヤ人。それに各地から集められたユダヤ人、あるいはソ連兵。

そして再びこのアウシュビッツ、私は何かやりきれない物を感じる。アウシュビッツで殺すもの、殺される者、それで稼ぐもの、そしてそれを観光して喜ぶもの・・・・。長崎や広島でも同じではないか、との意見もあろうがこちらの展示?はリアルすぎる・・・・。私はアウシュビッツでは写真を撮る気が全く起こらなかった。

翌日、オプショナルツアーでクラクフのユダヤ人街と、映画「シンドラーのリスト」に出てきた琺瑯工場跡を見た。その時のガイドの話。

「ここからも多くの人が強制収容所に連れて行かれた。しかし現在ここにはユダヤ人はあまり住んでいません。住んでいてもソ連あたりから逃れてきた人たちです。強制収容所を逃れたユダヤ人は多くはイスラエルに移住しました。」

かってキリスト教世界ではユダが金のためにキリストを裏切った話があり、金を扱うことを汚い事、忌み嫌うべきと考えた。そこでユダヤ人に扱わせた。彼等は優秀であった。しかし自分たちの教義を信じ、キリスト教徒と交わることを喜ばなかった。そこでキリスト教徒は、彼等は彼等の世界で活動させる道を取った。これがユダヤ人ゲットーの始まりである。そしてヒトラーの時代。統一意識に欠けるドイツ人をまとめるために、ユダヤ人を取り除こうとはじめられた民族浄化運動。ユダヤ人にとってはたまったものであるまい。

しかし一つ気になる。収容所は一大悲劇であったけれども、ユダヤ人が、それが終って平和を願うようになったかと言えば怪しい。アラブの中で生きるために原爆まで作っている。

東京に帰ってきた。二人の友人に、アウシュビッツに行った、やり切れぬ気持であった、というようなことを伝えた。すると一人は「そういうところへ行くのは、俺は嫌いだ。長崎だって原爆投下の話があるから行きたくない。」と言った。もう一人は元外交官であった。彼は「私もあれを見て人生観が変わった。「結局人間の本姓は、殺し合うものだ。」と考えるようになった。」

みなさんはアウシュビッツを見ましたか。見ていないとしたら見に行きたいですか。またこれらはなぜ世界遺産になり観光施設になっていると思いますか。

 

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