1369「韓国への対応・・・個人的見解」(6月20日(土)晴れのち曇り)
1965年に日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」が調印され、同年に批准書を交換した。日韓両国の国交が正常化してから2015(平成27)年で50周年を迎えた。記念行事に安倍首相、韓国の朴槿恵大統領が参加した。両国の関係は正常化しようとしているように見える。
個人個人を見た時に韓国人が嫌いというわけではない。近くにある両国が仲よくするべきだ、という議論もあり、その通りと思う。しかし私の日記である、自分の思うところを書く。「よいけれども日本は油断するな、正常化など急ぐな。」と考えている。
2チャンネル、ケントギルバート氏の論文。「歴史を塗り替えているのは韓国」と書いている。その通りと思う。学校教育でどのようなものを教えているのか知らぬが、彼等のは「願望史観」とでもいうべきもので、こうであってほしいと信じ、そしてそれを他国に押し付けようとする。
たとえば従軍慰安婦問題。もちろんよいことではないが、あのころ韓国は日本の一部であった。その一環として日本人も含めて募集されたのであろう。彼等に金目的が多くあったのも事実であろう。戦後の韓国を見れば一時期はキーサンパーテイ、今では公然とした売春婦の出稼ぎなどだ。さらにヴェトナムで米国の手先となって女たちを犯すなど蛮行を繰り返した。その韓国が自分たちの被害だけを取り上げて世界に慰安婦銅像を建てる等あきれる。
日本は太平洋戦争で無謀にもアメリカに挑み負けた。あれは明治維新以後富国強兵に勤めた日本が日清・日露に勝ち、第一次世界大戦でも勝利して図に乗りすぎた結果ではなかったかと考えている。日本は自分の限界について早く知るべきであった。シベリア出兵、ノモンハン事件等いくつか機会はあった。懲りずにアメリカ等から締めつけられて、彼我の比較を十分にせず戦争に踏み切ったのは慢心以外の何物でもない。
しかし敗戦後の頭の切り替えが早かった。民主主義国家として生まれ変わり、アメリカ文化を素直に輸入した変革した。今では太平洋戦争に負けてよかったかもしれぬ、あれが無かったら今頃日本はどうなっていたか等言う者もいる。
対して韓国は、長い間中国の属国であり、独立したのは僅かに日清戦争から日本による併合までの10年余り。あのころの情勢を考えれば、日本と一体になることをむしろ望んだのではないか。そして太平洋戦後タナボタ式の独立。それを自分たちが独立を勝ち取ったと言いくるめたい。そのために日本を悪者にする考え方だろう。しかし、だから日本の韓国に為した罪は許されるわけではないが、以下も一方の真実であろう。
(ブログから転載)併合時(1910)〜終戦時(1945)
・教育の普及
ほぼ皆無 → 小学校5,213校建設、生徒数2,389,135人。
・京城帝国大学創設(1924)、旧ソウル師範学校(現ソウル大学)、梨花女子大など1000校以上建設
・朝鮮国民に教育を実施し、就学率を61%まで高めた(1944)
(ハングルを整備し体系化させ、漢字、日本語と共に普及させた)
・識字率 3-8% → 80% ・人口 1313万人 → 2,512万人(1944)
・平均寿命 24歳 → 56歳 ・鉄道 3,827km敷設
・耕地面積 246万町歩 →449万町歩 ・水田面積 84万町歩 →162万町歩(1928)
・石高(米の生産量)約1千万石 →2千万石(1930) ・反当たり収量 0.49石 →1.49(3倍)
・植林
禿山に30年間で5億9千万本を植林
個人も国も、過去の延長に、自分自身の今がありその先に未来がある。見据えないでどう進歩できるか。日本の支配時期と同時に、長く支配していたのは中国という点も理解すべきではないだろうか。文字をハングルにしてしまったのは失敗と思う。良かれ悪しかれ、韓国は長い間中国文明圏の中にあった。漢字を捨てる事は自分の過去を捨てることにつながらないか。ある人が言っていた。韓国を旅するとなんとなく文化の薄っぺらさみたいなものを感じる・・・・過去を尊重せず遺物を壊してしまうなら、イスラム国家と同じ思想。
自分は偉くなったという意識か。韓国は誇大妄想も目立つ。小中華発想や何でも自国紀元とする発想。国際化していると言いながら、ルールさえ理解していない。気にいらない新聞記者を1年以上も拘束するのは、三権分立すら出来ていないように見える。スポーツ等における極端なナショナリズムもひどい。判定に不服もあり間違いもあることは事実だが、それに従うのがスポーツの精神!
国と国との関係は個人同士の関係に似ているが、大人の関係であるべきだ。国家は国民の意思の集合である。その点から言えば国民の過半がその認識に立たねばならぬ。反日教育にこだわっている韓国と日本が無理に仲よくする理由はない。日本は是々非々で向かうべき。従軍慰安婦の像をまず撤去しろ・・・・当然である。
註 ご意見をお待ちしています。
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読者から次のようなメールをいただきました。
歴史的に見れば、日本と朝鮮半島との関わりは長い。
弥生時代前期(紀元前5世紀頃)より、農耕技術と鉄器を携えた人達が、さみだれ式に朝鮮から日本にやってきた。
現地の縄文人を追いやってその勢力を拡大し、5世紀前半に日本を統一してヤマト朝廷を設立した、
時の天皇は5代にわたって、中国(当時の晋、隋)に使節を送って、天皇が日本と朝鮮を支配する王であることを
認めるよう要請した(倭の5王)。
多分、当時の天皇をはじめとする支配層は朝鮮の王族出身だったのであろう。
6世紀から7世紀にかけて、朝鮮は、高句麗、新羅、百済の3国が抗争を繰り返し、それぞれが日本に支援を要請する
使節を送ってきた。
日本は、支援の代償として、朝鮮に渡っていた中国文化(農耕技術、灌漑技術、土木技術、仏教文化、寺社建築技術、律令制度等)
を、人材(技術者、僧侶、官僚)を含めて根こそぎ朝鮮から移入して、それを基に日本の国家建設と支配体制の確立を進めた。
さらに、日本は朝鮮3国に毎年朝貢することを求めた。朝貢は、663年の白村江の戦いで、百済と日本の連合軍が高句麗と新羅の連合軍に敗れ、
676年に新羅が朝鮮を統一したことにより終わった。
その後は、日本は朝鮮を相手にせず、中国との直接交流が中心になった。
日本の秀吉による朝鮮への侵攻は、1592年から1598年まで行われた。
秀吉は明を征服する意図があって、李氏朝鮮に明までの先導役を命じたが、朝鮮がそれを拒絶した。そこで朝鮮を征服するために約20万の軍隊を送り、
朝鮮側は無防備だったために、最初は日本側の連戦連勝であった。しかし朝鮮が明に援軍を要請し、明が数万の軍隊を派遣したために、戦争は膠着状態になった。
結局は秀吉の死によって終わったが、この侵攻は朝鮮を荒廃させるだけで,日本にとっても何の利益もなかった。
あった。
次は日清戦争で、朝鮮内部で2派が抗争し、一方が清に軍隊派遣要請をしたので、他方が対抗上日本に派遣を要請した。
清が完全に朝鮮を支配するのは避けるために、親日派の要請を名目にして出兵した。戦闘は主に朝鮮を戦場にして行われた。
日本が勝ったことにより、朝鮮を完全に支配した。日本は善意で朝鮮の近代化を進めたのだろうが、朝鮮の人々には圧政、抑圧、強制と映ったのだろう。
日本からすれば、慰安婦や徴用工を近代化と相殺しても良いのでは、と思うのだが。
太平洋戦争後の朝鮮戦争では、日本は大いに潤い、戦後復興の基礎ができた。
以上を見ると、日本の建国も再建も、朝鮮半島内部の戦争や抗争の際に支援依頼され、それの対価によって得た利益によりなされた。
略奪ではなくて交易によって利益を得たのであるが、朝鮮の人達から見ると、日本はいつも、自分たちの混乱に乗じて「火事場泥棒のように莫大な利益を得ている」
と思うかもしれない。
多分、この感情は妥協不可能であろう。
今の日本にとって、韓国との関係修復はそれほど重要な政治課題ではないだろう。
民間で、経済や観光で交流しながら、政治的な話し合いは、「日本側の交渉の扉は常に開いている」
というメッセージを時々送っていればよいのではないか。