137「またお風呂」(2月9日 晴れ)

梅もちらほらと咲き始め、ようやく春めいてきた。今日は気温も4月上旬並みとか。そんなことで、夕食後、冬の間休んでいた銭湯に行こう、という気になった。

秀の湯の入り口に「レモン風呂の日、小学生以下は無料です。」とある。これは大変、混むに違いない、と考えたが、入ってみるとそれほどでもなかった。薬草風呂には普段薬草の入った袋が入れてあるのだが、代わりに二つ切りにしたレモンが沢山入れてある。よいにおいがするといい気持ちになっていたら、近寄ってきた男が袋ごと胸にあてた。小さな子供がにおいをかいで、お兄さんに「にんにくだ!」と報告していた。

なぜ2月9日をレモンの湯にしたのか、ご主人に聞いてみた。「特に理由はないんでしょう。幹部がきめたので従っているだけです。」とそっけない。この企画は杉並区浴場組合で協同でやっているらしい。

帰りに例の「1010」(これはセントーと読む=既出)なるパンフレットをもらってくる。

「銭湯が日本人の心と体を救う!」はちょっと大げさだが、大きな浴槽とユニットバスの、人間の感性に与える比較実験が載っている。前者が後者に比べストレス解消、悲しみ(落ち込み)緩和、喜び増加などに効果があるとのことだ。銭湯にしてみれば、大抵の家には風呂が設備された現在、彼らに再び来てもらうことを願って、この辺は大いに強調したいところだろう。

ほかにラベンダー湯の効果、室内の大きな浴槽と露天風呂の比較なども掲載されている。風呂屋で菖蒲湯とゆず湯があることは知られているが、東京の銭湯ではほかに10月10日にラベンダー湯フェステイバルというのをやるのだそうだ。よい香りがし、リラックス効果がある、とのことなので試してみたら・・・。

御湯乃殿堂と称して、推薦する都内のお風呂を紹介した記事もあるが、突撃!電脳開発団が興味を引いた。東京都浴場組合のホームページを紹介している。

http://www.1010.or.jp/

早速アクセスしてみる。まず銭湯の歴史が興味を引いた。

風呂の始まりは、寺院の施浴だったらしい。寺院が七堂伽藍の一つに浴堂をそなえ庶民に施したのである。鎌倉、室町時代になっても、幕府や寺にこの習慣は受け継がれる。源頼朝のおこなった100日の施浴、日野富子の両親追福の風呂などは有名である。次第に入浴には趣向が凝らされ、浴後に茶の湯や,酒食が振舞われるものも現れた。

銭湯は、天正19年(1591年)に銭瓶橋(今の江戸川橋)に伊勢出身の与一が銭湯風呂を開業したのが始まりらしい。最初は浴槽の底にひざを浸す程度に湯をいれ、上半身は湯気で蒸す仕組みであった。蒸気が逃げないように三方を囲み、屋根を低くした、暗い小さな部屋に、客はざくろ口から入った。慶長年間の末頃首までつかるすえ風呂ができた。蒸気でなく湯の風呂だから「水(すい)風呂」とも呼ばれた。

なお江戸時代の銭湯は「入りこみ風呂」といわれ、男女混浴であった。風紀を乱すものも少なくなかったため、幕府は何度か禁止令を出したが、完全になくなるのは明治23年の子供7歳以上の混浴は禁止という法令が出るまで待たねばならなかった。なお混浴について現在東京都では「10歳以上の男女を混浴させないこと」となっている。

明治時代になって銭湯の様式は一変した。ざくろ口が取り払われ、屋根に湯気抜きが作られたり、浴槽と板流しを平面にしたり、洗い場もずっと広くなった。これらは「改良風呂」と呼ばれ、評判になった。大正時代になるとタイルの使用や水道式のカランが取り付けられるなど衛生面でも進歩した。

そして各戸に風呂があるのが当たり前になった現在、銭湯はサウナを設置したり、気泡風呂にするなどして客の獲得に努力している・・・・・。

さて最後に気になる記事を一つ見つけた。

「宮崎県の公衆浴場施設16施設からレジオネラ菌が検出された旨が報道されていますが、この公衆浴場16施設は、銭湯とは違う分類の公衆浴場です。また、6人の死者を出した宮崎県日向市の「日向サンパーク温泉」も同様に銭湯ではありません。公衆浴場法の適用を受ける公衆浴場は、「普通公衆浴場=銭湯」と「その他の公衆浴場」に分類されています。・・・(中略)・・・銭湯では、入浴者の安全を確保するため、施設設備の毎日の清掃、塩素系薬剤による浴槽水の消毒など適切な処理を行っていますので、安心して日々の疲れをいやしてください。」

業界も大変である。

それはともかくも今日は久しぶりにゆったりとし、いい気分になって、「1010」などめくりながら床につく。

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