1384「「人間の分際」を読む」(8月18日(火)曇り)
曽野綾子、幻冬舎。この人はどうしてこう透徹したものの見方ができるのだろう。彼女がいろいろな機会に書いたものを抜き書きし、まとめたものだが、「そうだ、その通り」と思う物が多かった。
タイトルが気に入った。「人間の分際」・・・最近私もおなじことを感じている。自爆テロは、とんでもないことと思う。命を大切にしない、という人があるが、もっと問題なのは自分自身がこの世界を変えられるという思い上がりではないか。自分の分際を認識せよ!そしてこの言葉を「私の分際」と置き換えて自問する。分際を自覚しないから己の立場を危うくする。
前書きにあの東京オリンピックの大松監督が「為せばなる」といった。世間に大ヒットした。しかし著者は言う。「私は騙されないぞ」と思ったと。「為せば成る」なら、どうして多くの日本人が命を懸けて戦ったあの大東亜戦争に負けたのか・・・・・。
「分際とは「身の程」という事だ。財産でも才能でも自分の与えられた量や質の限度を知ることだ。「為せば成る」とは正反対の生き方だった。そうした当たり前のことをするのが人間の分際というのである。」そして「私は「身の丈に合った暮らし方」がますます好きになった。」としている。その通りだ!
以下各章へと続いてゆく。気の向くままに作者の珠玉の言葉を抜き書き自分なりに考える
「かねがね、人生は努力半分、運半分と思っています。」
私のコメント・・・その通り。どこかで書いた。「アウシュビッツで殺すやつ、殺されるやつ、其れで儲けるやつ、それに載って観光し、喜ぶやつ」
「そもそも人間は弱くて残酷である」「裏表ある人こそ人間らしい」「卑怯でない者はいない。」
タイトルだけで言わんとすることが分かる。重要なのはその通りだと認識しながら、それでも世間でいう「人間らしいやり方」を取るのは、其の人間の余裕か。
「子供は「親しい他人」と思った方がいい」
私の場合、子達三人に恵まれ、それぞれに幸せに見える人生を送っている。私は来年で後期高齢者いる。彼等はわたしのことを心配してくれている。しかしいつも「子であるが故の義務感」からではないか、と私は考える。できるだけ親は彼等の隠された希望に沿って、老人ホームにでも入り身を引くことを考えるべきか。
「もらえば得じゃない」とか「もらわなきゃ損よ」という言葉をよく聞く。…受ける介護のランクを決める時には、できるだけ弱弱しく、考えも混乱しているように扱った方がいい・・・・(明治生まれの母親の世代には)精神のあさましさはなかった。遠慮という言葉で表される自分の分も守る精神もあったし、受ければ感謝やお返しをする気分がまず生まれた。」
「一応の健康を維持している人なら、国家にも親にも、依存しないで生きるというのが人間というものだ。」
現代社会の問題点はこの辺?ではないか。生活保護を受ける方が働くより良い収入が得られるなどとなるととにかくそちらに走る、まじめに働くことが馬鹿馬鹿しく見える世の中にしてはいけない。
そして最終章に「老年ほど勇気を必要とするときはない」
著者は1931年というから私より10歳年上。先輩の言として私の今後の生活に役立てたい。
「一番おかしいのは、ゆっくり趣味を楽しみたいと思う時に、定年退職した夫がいることが最大の予想違いだ、という人が多い事だ。夫が全く家事に無能で自分でカップヌードルにお湯を注ぐこともできない人だから、という。・・・・」
・・・・これには笑わされた。しかし専業主婦の場合には自分が亭主のおかげでここまで来られたという事をにいしきすべきではないか。
「私は議員にも大臣にもなったことはないが、今では偉い人ほど好きなことができないことを知っている。」「年を取ると自己過保護型になるか自己過信型になる。」「老いてこそ「分相応」に暮らす醍醐味が分かる」「「人生には何でもありだ」という事が分かってくる。隠す、とか見栄を張らねばならないという感情はまず第一に未熟なものだ。」「孤独と絶望を経験しないと人間は完成しない。」
そして最後に著者は言う。説教くさいけれども、頭の片隅には入れておきたい。
「死に際に点検すべきこと・・・・一つは自分がどれだけ深く人を愛し、愛されたかという事、もう一つは、どれだけ面白い体験ができたかという事である。」
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」
いづれも今の私自身に何かを考えさせる言葉であるように思った。
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