レバニラライスをほおばりながら私は横でにやにやしながら聞いていた。荻窪駅そばにあるカウンター席だけの中華料理屋。店内には中華料理特有の油のにおいが立ち込めている。
男が二人。労働者風。一人は恰幅がよく元気そう。もう一人はふちつき帽子をかぶり、ひじをつき、なんとなく元気のないしゃべり方。
アルコールが入っている。皿にはピータンが二、三切れ。「ビデオを探してんだよ。」「古道具屋をいくつも回ってみなよ。場所によって値段がちがうからな。」そこに炒め物をしていた親父が口をだす。「テレビビデオってのがいいよ。1台で全部兼用だ。」カミさんが言う「だけど、壊れると全部だめになっちゃうから困るのよねえ。」「人間とおんなじでいいじゃんかよ。」「おい!」
元気のないほうがいう。「ああ、こんな風に一日、一日が過ぎて一生終わるのかな。」「なに言ってんだい。昨日だって楽しそうに飲んでたじゃないか。」「ありゃ、女が来たからだよ。おかげでビールを二本も余計に飲んじまった。」「4本だよ。飲みっぷりがよかったからねえ。」「これじゃ小遣いがなくなっちまう。」「お前さん、いつだって人の分まで払うからだよ。」「なりゆきでそうなっちまうよ。仕方がないだろ。」「ところで親父、今日の酒はよく酔うね。この前みたいに埋めてないんだろ。」親父笑って「そうとも、生一本だ」「今日は冷だから酔うんですよ。」
よく若いころ活躍した歌手が、カムバックを試みることがある。ちょっと見るとやっぱりかせがなければならないんだな、と思えるが、金の問題じゃないんじゃないかと思う。あれはもう一度ちやほやされたいのだ、銀幕で喝采をあびて騒がれたいのだ。
定年後、多くの人はそのまま仕事を続けることや再就職することに必死になる。このとき収入を気にするのは女房じゃないか、と思う。「まだ娘が嫁に行っていない。」「老後の資金が足りない。」「今の生活を落とさなければならなくなる。」いろんな理由で夫を攻め立てる。しかし本人はそんなことより、時間つぶしの場所を求めているのではないか。会社のほうはもうたいした期待はしていない。安い労働力くらいに考え、時には本当は来てほしくないのだけれど、政策上やむをえずにうけいれる。
カムバックもできないし、再就職もできない場合、男はいやでも自分自身と対峙させられ、自分自身を慰める方法を見つけようとする。定年退職すると、人々はよく旅行に出かける。旅行というのはその期間と前後のわずかな時間であるが、当事者を夢中にさせ、しばし孤独から解放する。旅先であった人たちは友人などにはなり得ないが、それでもしばし、そういうものを得たという錯覚を起こさせ、楽しくさせる。しかし旅には終わりがある。わずかな思い出とクレジットカードの支払いが残り、後は忘却のかなたに消え去る。行かなくたって同じなのだが、無聊を慰めるために人々は金と時間をつかう。
定年後なんて、おつりの人生、孤独に耐えられさえすれば何もしなくたっていいのだ。一日寝ていることができればそれも悪くはない。彼らみたいに毎日酒を飲み、気のあった仲間としゃべり、たまたま見つかった女にビールをおごり、一日1万円足らずの金を消費し続けるのも一興かもしれない。それが人生さ。
私も二人と親父の話の輪に加わりたい衝動にかられた。しかしその勇気もなく、私は私の暇な時間をつぶすために「株屋でも覗いてみるか。」と外にでる。
でも贅沢だなあ。日本はなにのかにの言いながら平和だ。年とっても、たいていは、食ってゆける。しかし食ってゆけることがわかると、仲間がほしい、生きがいがほしい、生きた足跡を残したい、生きる目的がほしいだの言い出す。贅沢言うな。アフガニスタンを思え!アフリカを思え!一人で力む。
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