洋画家中川一政氏の美術コレクションに「作者不詳」として1−2万円と見られる作品があった。ところがこれがオランダのゴッホ美術館で鑑定した結果、本物のゴッホの作品とわかった。
最低予想価格は「三百万以上」に跳ね上がり、東京銀座で行われたオークションには五百人以上が参加した。五百万円からスタートした値はみるみる引き上げられ、なんと6600万円で広島県の住宅建材メーカーWのNという会長が落札した。しかも彼は代理人に参加させたから、「実際の絵は知らない。」というのである。
美術評論家に由れば、1979年にロンドンのオークションで約700万円で取引された作品で、しかも鑑定結果によれば保存状態もあまりよくないということから突出した価格である。
とにかく1−2万円と見られた作品が、ゴッホの作品とわかっただけで6600万ついた、という事実である。絵画のレベルから見ると、本来なら強烈な印象や感動を呼び起こす作品ではないのだろう。それがただゴッホという名前ゆえに・・・・。この絵は一般公開されるというが、人々は一体何をみるのだろうか。パンフレットに書かれたゴッホの印刷文字に感動して満足するのだろうか。
この記事を読んで、私は贋作作家エルミアを思い出した。
彼についてクリストファー・アーヴィングと言う人が「贋作」という伝記?を表している。本にエルミア描くところのモジリアニがある、マチスがある、ピカソがある、ドンゲンがある、デユフイがある・・・。我々のような素人はもちろん専門家がみても容易なことでは贋作と気付かない。
彼によれば「私はマチスのデッサンを5分ばかりで描けます。」「ピカソは私にとってひどく容易な画家でした。」「ミロは非常に容易に思われたので、やってみようという気になれなかったのです。むしろ本物のミロの方が贋作にみえるのではありませんか。」「ユトリロとコローはこれまで沢山コピーされましたが、私はやる気にさえなりませんでした。」
ハンガリーの裕福な一家に育った彼は、ミュンヘンのアカデミーハイマン美術学校で学んだ後、パリに出て多くの芸術家同様モンパルナスに落ち着き、レジエ、ヴラマンクなどと親交を結んだ。しかし第二次大戦中、故国に戻ったところ、政治犯として収容所に送り込まれ、一家の財産はドイツ軍に没収された。戦後再びパリに戻ったが文無しだった。ふとした機会にピカソの素描をまねて描いたところ,40ポンドの高価な値で売れた。ところが後に彼はその絵が150ポンドで転売されたことをしる。こうして彼の贋作人生がスタートするわけだ。
訳者によると、わが国にも彼の贋作らしい作品はもたらされている。国立西洋美術館が39年に購入したドランの「ロンドン橋」とデユフイの「アンジュ湾」がそれで、参議院文教委員会等で追及された。
結局のところ、偉大な画家の多くは、本当は名前だけで、実は他人が描いても描ける程度の絵しか描いていない・・・・。
しかしそうなってくると、絵の真贋そのものより、本当にその絵が優れたものか、どうか、というところが問題になるのではないか。逆に真実作者の作品であっても、優れていないものはどこまで行っても高価な値はつけるべきではないのではないか。
こんなことを考えると、今回の買い付けは一体何を考えているのか、と言うことになる。絵がいいかどうかは置いておいて、とにかくゴッホだから買った、といいことではないか。
しかし・・・・そんなことは会長はわかっているはずではないか。するとこの不況の時期になぜ?という問題にぶつかる。
いろいろ考えたが、私の結論は究極の道楽ではないか。投資などという概念ははなからない。自分の儲けた金は何に使おうと個人の自由である。彼はゴッホが欲しかったのだ。それでもって自分の画廊を飾りたかったのだ。それは恋した女を自分のすべてを犠牲にしても手にいれたい、という気持ちと同じではなかったのか。とすればそれはそれでいいのかもしれない。
そういえばインタビューに答えて会長は言っていた。
「7000万でも8000万でも買おう、と思っていました。」
なかなか一般庶民の我々にはついてゆけぬ考え方である。
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