1424「「ドイツリスク」を読む」(1月12日(火)晴れ)

 

我我は、米諸国の中でドイツは技術力が高くなんとなく親近感の持てる国と感じていないか。ただしフォルクスワーゲンの環境基準対応不正改造問題はこれを揺るがせたが・・・・。

書店でこの本を拾い読みして、そのドイツが決して油断のならぬ国であるように書いてあったので買ってみた。著者は、1959年生まれ、今50代半ばで読売新聞社からベルリン特派員を長く経験している人らしい。

あるフィンランド人に「ドイツは脱原発を決めた。フィンランドはなぜ原発を推進するのか。」と聞いた。すると「ドイツ人は夢見る人、それに対してフィンランド人は実際的な国民」としたうえで「生活水準を保ちたいならばエネルギーが必要だ。そのために自身でエネルギーを作り出すか、隣国ロシアから買うかだ。ロシアに我我の生活水準を決められたくない。」(要約)

著者は「夢見る人」を、現実を醒めた謙虚な目で見ようとするよりも、自分の抱いている先入観や尺度を対象に読み込み、目的や夢を先行させ、さらには自然や非合理的なものに過度の憧憬を抱くドイツ的思惟のありかた、と定義している。

まずフクシマ原発事故で、ドイツメデイアの報道は「チェルノブイリと同じ規模の原発事故」と決めつけ、「マスクをする男性=死の不安の怯える東京」、「原発事故で16000人が死んだ?」、「日本の政府もメデイアも信頼がおけない。」などセンセーショナルな扱い。英国フィナンシアルタイムスなどの冷静な見方と対照的であった。著者はさらにこのような報道の背景に「とりわけ1980年代以降、多くの産業分野で日本の後塵を拝することが多くなったドイツ人が、日本の失敗を見て安心する」心理効果があったのではないか、とまで推論している。

次に太陽光や風力など自然エネルギーへの早急な転換を理想は高いが、電力料金の高騰を招いているとする。電気は、常に需要と供給を一致させなければならない。その結果、電力需給バランスが崩れ、電力需要が極端に減る時は金を出して電力を引き取ってもらう事態さえ発生している。自然エネルギーが優先的に買い取られる結果、既存の発電所から業者が撤退するケースが目立ち、かろうじて採算が確保されるのは褐炭発電、ということだ。結局一般の電力料金は2倍に跳ね上がり、自然エネルギーによる電力の買い取り料金は引き下げ、上限の設定など政策転換を求められている。

次にユーロの問題点を扱っている。ヨーロッパで孤立することを恐れたドイツは政治同盟を強化しようとしたが、フランス等は強いマルクを放棄させるため、通貨同盟優先という主張であった。後者型のユーロ圏ができ、金利が統一化された。すると高金利の国は低金利となり、ユーロボーナスを享受できた。それは産業の近代化や均衡財政の実現などに使われるべきであったが、実際はお祭り騒ぎに使われた。そして債務超過、いびつな産業構造、競争力の欠如などの問題にぶつかってしまった。メルケルはユーロ圏諸国に緊縮政策の順守を求めるが、一方で債務国に多くの信用供与を行ってきた。引き返すわけにはゆかぬのだろうが、このままではユーロは中途半端で今後多くの問題を引き起こすことは目に見えている。

最後にドイツの持つ東方への夢を扱っている。プーチンによる「クリミヤ半島併合」に対して、ドイツ人の多くが国際法秩序より、歴史を根拠に共感を覚えているように見える。ドイツのユーラシア大陸国家としての性格が表れていないか、と論じる。然しドイツとロシアの関係は日本は比較的「他人事」で済ませられるが、中国に共鳴するドイツの歴史観となると問題だ。中国は対日歴史キャンペーンを、ドイツを中心に行い、メデイアはそれになびいているように見える。

日本とドイツは第2次大戦の同盟国として敗れるという共通の歴史認識に立つ。然しドイツは戦争を「(ナチスの)暴力支配が開始されたことにこそ原因がある」と考え、「責任を受け入れ謝罪することによって倫理的な高みを獲得するようになった。」とする。そして「日本人に対しては歴史認識問題に関しては道徳優越性を見せたい」と思っているようだ。日本とドイツが同盟関係にあったのは例外であり、中国市場を巡る競合関係の方が常態。日中韓が緊張し日本製品の排除が起こるなどすれば、ドイツはその分利益を受けることになり、むしろ好ましいことだ、と著者は推測する。

ドイツの歴史認識の2番目の特色は、歴史は人工的に断絶できるという思想だ。日本の敗戦より徹底した軍事的敗北であったが、ナチズムという旧体制が一掃され、ドイツが生まれ変わることにより戦後の歩みが可能であったとする。

この点について著者は歴史認識大きな国を大陸国家、海洋国家の二つに分類できまいか、とする。前者はロシアや中国にみられるような正当な歴史解釈という閉塞性、断絶を基調とする歴史認識、異質な歴史観への倫理的糾弾などである。後者は多様性の許容、連続性を持つ歴史、歴史と倫理の峻別など正反対の理念型として提示できる。ドイツの姿は大陸型国家であり、非合理性に根を下ろす「夢見る」特質が開花しやすい条件が生まれているのではないか、とする。

ただ著者は後書きで「本書の対象はドイツだが、日本自身を批判的に相対化する視点も忘れてはならない、と自戒する。」としている。参考にすべき言と思う。

(追記)夢を見過ぎたか、今メルケル政権は無制限の難民受け入れ、その不穏な動きで苦しんでいる。この先どうなるのだろうか。

 

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