10日ほどオーストラリアに観光旅行に行ってきた。正確にはシドニーに4泊、メルボルンに4泊、カードを使って大名旅行?を楽しんだ。一つ一つは日記に記したが、全体として感じたことをまとめてみたい。
なおこのレポートは帰りの飛行機の中で読んだ「オーストラリア」(岩波新書 杉本良夫著)を参考にしている。杉本氏は1939年生まれ、メルボルンに住んで30年、近くのオーストラリア・ラトローブ大学で人文・社会科学の教鞭をとっておられる。
まず、とにかく豊かで広い。
シドニーでワイナリー見学をしたときは、どこまでも続く雄大な原始林、メルボルンでオーシャンロードやペンギンのあらわれるフィリップ島を訪問したときには牛や羊ののんびりとねそべる果てしない牧場を見た。しかも気温は暖かく、雨も多いのか、植物の生育も良いように見える。人口1840万人、国土の面積=770万平方キロメートルは、日本の120-30分の1しか人がいないことを意味する。土地など驚くほど安い。結果、経済指標だけをみれば特に成功しているとは思われないが、人々の暮らしはとても豊かに見える。
社会としては、国際化の現場をかいま見た気がした。
オーストラリア英語に悩まされた。しかしその根源を調べると、ヨーロッパ、アジア等多くの人が流入し、それぞれがしゃべる英語の影響である、と知って驚いた。
町ではいろんな言語が飛び交っていた。短い期間ながら多くの国の出身者を見かけた。英語圏国家のほかルーマニア、ギリシャなど東南欧諸国、中国、韓国、フィリピン、ヴェトナムなど東南アジア、もちろん日本人も多かった。
それぞれの国の文化がたとえば食文化に現れていた。中国料理店、イタリア料理店、インド料理店などが幅を利かせていた。日本料理店もメルボルンだけで数百におよぶとか。オーストラリア料理らしきものもあったが定義はしにくいように思った。
誰もが平等、という意識は一応浸透しているように見えた。一応、というのはまだ白人優先思想が垣間見られることがあるからだ。貧しさは感じられず、多くの人がオーストラリアにいることを満足しているように見えた。アボリジニ問題を除けば民族問題が起きているようには見えなかった。
国のアイデンテテイについて、将来どのような国にしようという明確な考えは見られない。二重国籍を認めている。移民は制限したものの、世界 (特に東南アジアなど)から多くの人がまだ入ってきている。選挙は全員が参加せねば成らず、行かなければ罰金など、形式上の民主主義が徹底している。それらの結果、誰の国なのか不明になっているようにも見える。国歌は自分たちのものに変えたものの、形式上はエリザベス女王を戴く立憲君主制である、など矛盾を残している。
どう見てもこの国は寄せ集め国家の感を呈している。しかしそもそも国家とは何か。国家とは、要するにそこに住んでいる人が作るものである。従って構成員が変わってくれば、違った方向に流れるのは当然である。そのうちに自分の出身も忘れられてゆく。オリジナリテイがなくなって行くという考えもあるが、そこに集まった者同士でせめぎあいながら、新しいオリジナリテイを作り出して行く、と考えることもできる。
世界の脅威という点から行くと、この国は大国ではあるが、軍事大国にも経済大国にもならないだろう。民族主義、国家主義が進展するとも思えない。むしろ難民の受け皿にさせられる可能性が高い。リッチで、豊かな国土面積に対し、絶対的にまだ人口が少ないからだ。この辺がたとえば中国、インドと事情が違うところである。
ふと外国に住むならこんな国に住んでみたいと感じた。気候がよく、みな適度にリッチで幸せそうで、娘たちは日本と違ってのびのび堂々としている。
しかし最後にこのようなオーストラリアは、私にとっては衝撃的だった。
私は漠然と日本古来の道徳観は大切である、日本語や漢字を守ることは大切である、日本文化や伝統を伝えることは大切である、などと考えている。国籍も一つと考えている・・・・国籍を持つ国同士が戦争をしたらどうなる?第三国人の選挙権の獲得にも反対・・・・日本の方向は日本人自身が決めるべきものであるから・・・。
しかしオーストラリアの現状を見ているとぐらついて来る。日本に入ってくる外国人の数は当然今後も増え続けるだろう。国際結婚も増え、ハーフあるいは杉本氏のいうカプチーノキッズも増えるだろう。すると、急ぐ必要はないが、オーストラリア的な変化も一方で求められる、と痛感した。
註 ご意見をお待ちしてます。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha