1446「下田一泊旅行」(3月29日(火)晴れ、30日(水)晴れ)
春風に誘われてのんびり静養、とガールフレンドのAさんと下田に行く。急ぎ旅ではなし、ロマンスカーで行こうとしたがのっけから失敗、人身事故とやらで普通列車になったうえ、それも遅れて苦労した。しかし駅近くの宿に落ち着けばのど元過ぎた災難という感じでリラックスした。
金目鯛の煮つけを3度も食った。最初に小田原駅にある魚国、次にホテル、最後に伊東駅近くのレストラン、ここがしっぽが切れているが大きい、今日とれたばかりということでおいしかった。
財布の都合でイセエビにありつけなかったのがちょっと残念。
インターネットには面白いことが書いてあった。
「キンメダイ類で食用となるのがキンメダイ、ナンヨウキンメ、フウセンキンメの3種。フウセンキンメは量的には少なく、流通するのは2種と考えていい。キンメダイは元々比較的ローカルな存在であったが、煮つけだけではなく、刺身でも食べられるようになり人気に。全世界に分布しており、国内産だけでは需要がまかなえず、ロシア、チリなどから大量に輸入されている。ややマイナーな存在なのがナンヨウキンメ。下田、鹿児島などでまとまって揚がり、安いキンメダイとして需要がある。」
私たちが食べたのはきっとナンヨウキンメか。別の情報
「大型のキンメダイが鮮魚でキロあたり2000円前後するのに対して、1200円前後と安い。」
下田近くを泳いでいたものか、ロシアあたりで泳いでいたものか・・・・・それはわからぬ。
食い物の話はこのくらいにして、歴史のある町というのは1度訪問しただけではわからない。何度も訪問するうちにようやくその全体が理解できるようになる。下田もそんな街。過去に博物館、長楽寺、宝福寺、了仙寺、下田公園、須崎、爪木岬、一応訪問した。しかし今日泊まったホテル近くの玉泉寺と柿崎弁天島は初めてで興味深かった。
柿崎弁天島では縞模様が美しい、特徴的な地層が見られる。幕末に来航したペリーの乗る黒船に、吉田松陰が密航するために舟を漕ぎ出した場所でもある。「私たちは世界を見てみたい・・・」とポーハタン号に乗り込もうとしたが、日米はお互いの法律を遵守する必要があることなどから、乗船を拒否されてしまう。その後一緒に渡航を試みた長州藩の足軽・金子重輔とともに自首、獄につながれることになった。二人の像が弁天島に立っている。
ハリス道路というのを少し進み、元に戻ると玉泉寺というお寺に出た。1580年ころ開かれた曽洞宗のお寺。時間に余裕があったので覗いてみた。以下パンフレットやウイキペデイア。
1853年、中国ではキリスト教信仰を紐帯とする、洪秀全の太平天国が勢力を得ていたころ、日本には米国のペリーの黒船艦隊が来航した。大統領の開国・通商を求める親書をもって幕府に開国・通商を求めたが、幕府側が1年の猶予を求めたため一時退去した。54年2月に再び来航、東京湾に入港、3月末に全12箇条からなる日米和親条約を横浜で締結、調印した。その後和親条約の細則を定めた下田条約(全13箇条)をやはり下田の史跡となっている了仙寺で締結した。この結果、下田が即刻、函館が1年後に開港されることになった。玉泉寺は米国人の休息所、埋葬所に指定された。その2年後1856年にタウンゼント・ハリスは通訳官ヒュースケンを伴い、米艦サン・ジャシント号で下田に着任、玉泉寺を日本最初の米国総領事館として開設、星条旗が掲揚された。以来2年10か月幕末開国の中心舞台となった。
1858年、日米修好通商条約を横浜沖に停泊中のポーハタン艦上で調印される。これに伴い、翌年横浜・神戸・新潟・長崎・函館の5港が開港されると、ハリスも江戸善福寺に移り、玉泉寺の総領事館は閉鎖された。ペリーはなかなか強硬であったが、ハリスは日本に好意的で紳士的だったということで辞任時には日本はて引き留めようとしたそうだ。牛乳好きで、領事館が置かれた玉泉寺には「牛乳の碑」が建てられている。ハリスが胃潰瘍のため喀血したことを機に、日本は17歳の芸者お吉をはじめ5人を送り込んで世話をさせた。その後短期間でお吉は返されたが、多額の金をもらっていたことなどから村人の妬みを買い、村八分のような仕打ちを受けたらしい。
また米国との条約と並行してロシアからはプチャーチン提督やデイアナ号高官が滞在、1854年にこれも下田の名所になっている長楽寺で日露和親条約が結ばれている。
寺内には柿崎村村主浜田与平児の日記、吉田松陰の遺品、ヒュースケンに使えたおふくの遺品、デイアナ号将校の日本最古の銀板写真等が展示された博物館、裏手にはデイアナ号高官3人、前提奥高台にはペリー艦隊乗組員5人の墓がある。日本最古のとさつ場跡というのもあったが、ここで牛を殺してアメリカ人どもは食らったのだろうか。1979年にはカーター大統領が夫人らとともにこの寺を訪問したという。
伊東で桜を見て帰ろうと思ったが、未だのようであった。弁天島と玉泉寺を訪ねたことだけを収穫に30日に疲れて帰京。
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