145「お彼岸」(3月22日 晴れ)

暑さ、寒さも彼岸まで、というが、少し暖かくなってきたような気がする。
季節のことを日記に書くのも、とだんだん知識が増えてゆくようで楽しい。1年で一巡り?そこで「お彼岸について」、もちろん資料はインターネットやら手元書籍やら。

「彼岸」というのはあちら側の岸という意味である、これに対し現世をこちら側の岸「此岸:しがん」と呼ぶ。

彼岸は仏教用語。もともとは梵語の波羅蜜多(はらみつた)を簡約した「到彼岸」のことだそうだ。煩悩にみちた世界此岸から解脱した悟りの世界、涅槃をさしている。

さらに煩悩にみちたこちらの世界を現世、涅槃の世界を極楽浄土ととらえ、亡くなった先祖たちの霊が住む世界を「彼岸」と考えるようになった。

このことから「彼岸の墓参り」ということはわかる。あちらの岸に到った人の供養を行う。先亡諸霊位に向けた供養の心は、鏡のように増幅されてわが身に跳ね返ってくるから忘れてはいけないとか。(これを「回向」という)

お彼岸は春と秋にある。中日(春分の日、秋分の日)と前後3日間をあわせ合計7日間を言う。最初と最後をそれぞれ「彼岸の入り」、「彼岸の明け」という。

春分の日、秋分の日というのは捉え方が3つある。

1、太陽が真西から昇り、真西に沈む日
2、昼と夜の長さが同じ日
3、お休みの日(祝日)

涅槃の世界を「西方浄土」とよぶ事があるとおり、阿弥陀仏の極楽浄土は「西」にあるとされている。そのため太陽が真西に沈む春分の日、秋分の日は夕日が極楽浄土への道しるべになると考えられた。大阪四天王寺は彼岸会に落日を拝むことで有名であった。

この日太陽が沈む極楽浄土への道を「白道」(びゃくどう)といい、仏の示してくれたこの白道をすすめば必ず極楽浄土に到るという信仰がうまれた。この信仰は、浄土思想が盛んにある事と軌を一にし、広がり、現在に到っている。

2番目の昼と夜の長さが同じ日は、仏教の「中道」の精神を二分するという点に対応するが、春分の日、秋分の日は必ずしもこれに一致していない。つまり正確にはどちらの日も若干だが、昼、夜の時間が異なる。

3番目の趣旨は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ」と書かれている。(法令)ちなみに戦前はこの日が「春季皇霊祭」、「秋季皇霊祭」という祭日で、皇室内の「元仏式行事」が神格化し、祭日になったものであった。

この時期にお寺では「彼岸会」という仏教の法会が開かれる。これが最初に行われたのは大同元年(806年)(日本後記)に平城天皇の霊を静めるためにおこなったもとというから古い。源氏物語にもみえる。しかしこの行事は日本独特の行事で他の仏教国にはないそうである。

彼岸会の趣旨は悟りをうるための集中修行期間。
悟りをうるための修行として代表的なものとして六波羅蜜という修行目標がある。

1、布施(ふせ)・・・・・思いやりをもつこと
2、持戒(じかい)・・・・・してはならないことをしないこと
3、忍辱(にんにく)・・・・・つらいことにもたえること
4、精進(しょうじん)・・・・・一生懸命励むこと
5、禅定(ぜんじょう)・・・・心を強くし落ち着くこと
6、智慧(ちえ)・・・・・真理をさとること

一方で、お彼岸が農耕の開始時期にあたり、穀物豊穣を祈る儀式と組み合わされた側面も無視できない。民俗信仰としての太陽崇拝、すなわち太陽の恵みに祈る「日願」を仏教の彼岸をあてはめたとの説もある。

最後にお彼岸におはぎをたべるけれどそれについて一言

まずおはぎとぼたもち、お萩、牡丹餅と書く。基本的に同じ餅だが、前者は萩の季節、秋のお彼岸に食べるもののこと、後者は牡丹の季節、春のお彼岸に食べるものの事である。あるホームページにぼた餅はこしあんで、牡丹の花のように大きめに、おはぎはつぶあんで萩の花のようにこぶりに作る、とあったが真偽のほどは知らない。

さらに蛇足。仏教心のない私は実は昨日はお彼岸ということも、リタイヤしたせいか休日ということも忘れていた。娘が夕方来週お墓参りにゆくと聞き、あわてて一緒に行くことにした。ガールフレンドのAさんがなかなかおいしい「桜餅」を買ってきた。一人になってから、彼女はなぜお萩にしまかったんだろう、キリスト教徒だから仕方がないのかなどと考えた。いづれにしろ、非常に不信心な私であります。

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