1454「陸上競技の杉並AC」(53日(火)晴れ)

 

ゴールデンウイークも半ば。ガールフレンドのAさんと昭和記念公園にいった。好天とあって驚くほどの人出、公園ではしゃぐ元気のいい子たち・・・・。緑の間を超えてくる風が気持ちのいいこと。立川駅をおり、公園の中を一周し、昼飯を食べて帰っただけだがずいぶん疲れた。

Aさんが言う。「いづれ、私たちも歩いてなんか来られなくなるわね。」

私はもうすぐ75歳、後期高齢者入りだが、陸上競技の杉並AC会長aさんは80歳の大台を迎えるとか。私がaさんと付き合うようになったのは10年くらい前、ラジオ体操の指導員をやっていた頃であった。

「陸上競技の審判員をやらないか。そのうち東京都で国体が開かれる。その先にはオリンピックがあるかもしれない。」

スポーツ競技などやったことのない私、断ったが、毎朝言われて、少しやってみようか、という気になった。見習いでいくつかの競技の審判員を見学したのち、B級審判員になった。棒高跳びの審判のお手伝いなどという変わったものまでやった。しかしこの仕事はあまり肌に合わなかった。それに1日拘束されて、せいぜい3000円という報酬も「大の男が仕事としてやるものではない。」と感じた。唯一最後まで参加し続けたのが、東京マラソンの審判員。いつも呉服橋あたりで、歩道整理や途中で棄権したものの収容などしていたがそれも今年はやめにした。

aさんは中央大学の陸上部の短距離の選手であったらしい。奥様は10歳くらい若いらしいが、スポーツを通して結ばれたらしい。彼女は毎日ラジオ体操をしに公園に来ている。二人で酒屋を経営している。とにかく世話好きである。

かっては元旦マラソンまであって、公園の周りを参加者は5キロ、10キロ走り回った。終わると公園ではたき火が炊かれお汁粉などふるまわれた。こんなことでも実際にやるのは大変、どこに誰を配置したらいいか、万一の場合どうするか、お汁粉などはどうするか・・・・そんなことをaさんが軸になって行っていた。新年会をやることもあった。aさんは審判員に毎日曜日くらい出かける。その報酬をためて置いて参加者に景品を配ったりしてくれた。とにかく杉並ACaさんあって初めて動く組織であった。

あるときaさんから会員登録の仕事を頼まれた。杉並ACは東京陸連に属する。審判員も選手もそこに登録され、はじめて審判員や選手として活躍できる。やがてその登録制度にコンピュータが導入された。「おれはコンピュータは苦手だ。あんた、学があるんだからやってもらえないか。」適当に言われて引き受けることになった。

aさんが一人ひとり聞いて名簿を作り、登録会費を集める。私がパソコンから入力する。aさんが会費を東京陸連に収める。すると登録会員の番号が決まる。特に選手はこの番号によって杉並ACから当該競技に参加できることになる。今年も登録がほぼ終わった。

昼間、aさんがやってきて、玄関でしばらく立ち話をした。

「大変だよ。この仕事は・・・・。次を引き継いでくれる人はいないか。」

しかし副会長のbさんは奥様が寝たきりでとても頼める状況ではない、今年A級に昇格したc君はこういう活動には不熱心等々、成り手がいないのである。私も「君はどうか。」と言われたが、その気は全く起こらない。

aさんをある意味で尊敬している。しかし私とて最近は情熱も体力も弱ってきている。90歳まで生きるとして後5400日とも計算している。

杉並ACは会員はかっては100人を大きく超えたが今では60人余り、しかし大変な仕事である。私の短い期間をこういう仕事で費消する気にならない。

aさんから追加で頼まれた最後の二人を登録する。そのうちのお一人は昭和9年生まれというから81歳か2歳、その年齢での競歩の世界選手権を狙っているとか。すごい人がいるものだ。しかしその彼も、aさんに言わせれば「審判員をやれと、誘ったがその気はない、と断られた。」

歳をとるとあらゆる組織がこんな事態にぶち当たる。みんな年を取って自分の頭のハエを追うので精一杯になってくる。

同窓会、友達同士の飲み会、趣味の会、宗教的な集まり・・・・・。

多くのものは他人がおぜん立てしてくれればのっかることを考えようか、というころにある。そしていつの間にか、一人二人と他界したり、病気で来られなくなってしまう。ラジオ体操も全く同様。若いものが参加してくれればいいのだが・・・・・。

 

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