1456「「毛沢東」を読む」(5月12日(木)晴れ)
著者遠藤誉は1941年生まれ。国共内戦を決した「長春包囲戦」を経験し53年に帰国した人で中国研究の第一人者。新書版ながら中身が濃い。引用しながらあらましをまとめる。
毛沢東は1893年湖南省の地主の子として生まれた。1911年ころ反清政府運動に加わるが、辛亥革命により清王朝は崩壊する。北京大学を志望したが資格がなく事務員として働く。知識人に対する復讐心が強くわく。1917年に起きたロシア革命の影響を大きく受ける。
中国共産党はロシアのコミンテルンのお膳だてで出来上がった。コミンテルンはロシア革命で誕生したソ連が、世界を共産主義にしてしまえと考え付いた。毛沢東は1921年中国共産党第一回大会に参加。少数で会った共産党は国民党に「寄生」して成長していった。
蒋介石は1887年河北省生まれ。軍事教育を受け、辛亥革命にも参加している。彼は最初からコミンテルンは国民党を利用して中国共産党を強化しようとしていると見抜く。
毛沢東は国民党左派と組むなどして移行するが、敗れ井岡山に逃げ込み、井岡山事件を起こす。さらに国民党の中共掃討作戦に追われて紅軍はコミンテルンの指示で貴州省まで逃げる。
ところが1931年に満州事変が勃発、爆走する関東軍が結果として共産党の壊滅を助けることになる。蒋介石が頼りにしていた張学良が戦う相手は日本として国共合作を成立させてしまったのだ。
この背景にコミンテルンの「日本軍と蒋介石を戦わせて共倒れさせ、共産革命を成功させる野心」があった。そして共産党は抗日戦争の間は正面に出ず、小さなゲリラ戦争をやって大きく宣伝し、正面戦争は国民党にやらせよう、との作戦に出た。
日中全面戦争が1937年に始まると毛沢東は日本の諜報機関「岩井公館」や「梅機関」に中共のスパイを派遣、国共合作を通して得た蒋介石側の国民党軍情報を日本側に提供し、多額の報奨を得た。スパイの一人潘漢年は日本側に停戦を申し入れている節さえある。しかし関係者は戦後毛沢東政権の下でほとんどが殺されている。
1941年12月日米開戦。日本の戦場が東南アジアや南方にまで拡大、中国にさかれる勢力が減少するから蒋介石にとってはありがたかった。和平論を唱える汪兆銘にとっては対応のしようがない。この年の6月に独ソ不可侵条約が結ばれ、日本軍はロシアを攻撃する北進策を放棄し、南進策をとった。毛沢東にとっては大変ありがたかった。
1945年、日本の敗戦。米国に負けた日本は「戦勝国」たる国民党政権に武器を引き渡すことになった。8月15日蒋介石は「抗戦勝利に当たり全国軍民および全世界の人々に告げる書」を出した。これが世界最後の戦争となることを願い、日本人に対する一切の報復を禁じ、逐次武器の引き渡しを求めた。しかし中共軍は各地で執拗に自分たちに武器を引き渡すよう求めた。そして国共内戦。国民党軍は内戦の一方、日本軍民の早期引き上げのための業務に忙殺された。このとき著者は満州国の首都であった「新京」(現在の𠮷林省長春)にいたが、八路軍によって包囲され、食糧封鎖が行われた。1948年に国民党軍が投降するがこの間が死者の数は中京側発表で12万人から15万人、国民党側発表で65万人に達した。長春陥落によって戦局が逆転し、1949年中華人民共和国が誕生し、1971年には国連で「中国を代表する国」となった。
1956年に日本の元軍人訪中団に毛沢東が挨拶した。「日本の軍閥が中国に侵攻してきたことに感謝する。・・・・・あなたたちがこの戦争を起こしたからこそ、中国人民を教育することができ、まるで砂のように散らばっていた中国人民を団結させることができたのです。」
南京虐殺の話は、毛沢東は無視していた。ところが1980年代に入ると日本の歴史教科書改竄(美化)問題が出て、中国の一般人民は「南京で虐殺があったこと」を意識し始めた。江沢民は父が汪兆銘のもとの文官で、ぜいたくな暮らしをしていたが日本が敗戦するとあわてて中国共産党政権に近づく。自分も出自が知られたら失脚すると「愛国主義教育」の中で必死に反日煽動を行った。その影響等で1995年から抗日戦争勝利記念日を全国レベルで祝い始めた。
最後に第七章および「おわりに」にある著者の気持ちと主張のまとめ。
毛沢東自身は愛国という言葉さえ嫌った。愛国とは「中華民国」を愛することになるからだ。ところが政府が続けた愛国主義教育は、個人的な保身のための反日的「トラウマ」へと変わってゆく。胡錦濤は「少しでも親日的だとすぐに売国奴呼ばわりされる精神文化」を是正しようといろいろ試みるが、彼自身が売国奴と呼ばれるようになりあわてて引っ込めてしまった・・・。」
そして実を言うと新中国が誕生した後、毛沢東は絶え間なく政治運動を展開しては中国人民を殺戮してきた。「延安整風運動」、「反右派運動」(五七運動)、「文化大革命」・・・殺したものはざっと7000万人強、これに国民党との戦争における餓死者、軍事情報を売り渡した日本軍に殺させた者等を加えれば億に達するか。古今東西、戦争が終わったあと、一人でここまで多くの自国民を殺した者はいまい。毛沢東はまさに帝王学を極めた人物というべきか。
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