1477「久しぶりに墓参り」(7月25日(月)晴れ)
本当に久しぶりに墓参りに行った。昨年自動車運転をやめることにし、車も売ってしまったが、そのおかげで行動範囲が狭くなったことは否めない。
所沢まで車を飛ばすことは軽い気持ちでできる、しかし電車なら西武線で30分以上かけて航空公園まで行き、そこからバスかタクシー、墓参りは親戚の分もあり2件、その間も自動車がなければとことこと歩かねばならぬ。つい気が重くなる。
家を出て10分くらい歩いてから草刈鎌を持ってこなかったことに気づき、引き返す。
親戚の墓は少し狭いから、草があまり生える余地はない。我が家の方はそうはゆかず、行ってみれば久しく訪れる人もいないのか、草は生え放題、それだけならいいのだが小さな竹がところどころに伸び始めている。草刈鎌が役に立つ。まだ梅雨明けになっていない。そのせいか、入道雲はないが空は青く、暑すぎず、風が心地よい。蝉の声が聞こえる。
母が1992年に他界、妻が1996年、父が2000年、「4年おきだな、次はだれの番かな。」と長男が私の顔を見上げたけれども「憎まれっ子、世にはばかる。そう簡単にあの世に行ってたまるか!」その元気のおかげで父の死から16年、妻の死から20年、馬齢を重ねている。
この墓石の下にもう何もないことはわかっている。カロートに収められた骨壺の中の骨はやがて溶け土に返ってしまうのだと聞いた。もうそういうことになっているに違いあるまい。何もない石に向かって手を合わせることは生きている者の自己満足にすぎぬ、あるいは生きている者が他人との関係において自分はこんなに信心深いと誇示するためくらいにすぎぬ。
しかし何か墓参りをしないと良心の呵責を感じるのは、自分自身が父や母、あるいは私の場合は亡くなった妻のおかげでここまでこの世を楽しんでいるという思からか。
花入れには何もなかった。花はいけてもすぐに枯れてしまう。枯れた花が残っていてもよいのだが、それがないのは誰かが掃除をしてくれたか、あるいはだれか親戚が花なしでやってきたのか、など想像をたくましくする。
一人だから桶に水をひとつしか持ってこなかった。売店で買ってきた赤い仏花を供え、残った水を墓と墓誌に水浴びよろしくぶっかけた。線香を供える。あのすぎもとまさとの「吾亦紅」を思い出す。あれを聞いたとき、私は故郷においた恋人の死を歌ったものと思ったが、実は母親のことを歌ったものだそうだ。
「マッチを擦ればおろしが吹いて線香がやけにつきにくい。さらさら揺れる吾亦紅。ふとあなたの吐息の様で・・・・盆の休みに帰れなかった俺の杜撰さ嘆いているか・・・・。」
何度も練習したけれど、ちっともうまく歌えなかった。
手を合わせる。父や母もなつかしいが、悪いけれどそれ以上に亡くなった妻。
「君ももう少し長生きしていればいろいろ楽しいことがあった・・・・。君は膠原病で最後は骨と皮ばかりに痩せてしまったね。でも僕が思い出すのは元気な頃の君。台湾の海岸でトドみたいに寝そべっていた君、マレーシアの公園でアイスクリームを二つ抱えて嬉しそうだった君・・・・」
私はいつここに入るのだろう。
相続の平等から男女平等の進展、夫婦別姓にいたるまで、家族制度の実質的崩壊がどんどん進んでいる。見方を変えればご先祖様の無視が進んでいる。それが寺制度や墓の無視につながってゆく。自分自身を草木葬にしてもらうかどうかは決めかねているけれど、戒名はいらないと考えている。妻がなくなった後、恋人ができた。彼女のおかげで今まで元気にやってこられた。しかし息子にいつか「僕はお父さんの子であると同時にお母さんの子である。」と言われてびっくりした。妻の分も入れれば私は彼等夫婦にとって双方両親4人のうちの一人、孫に至れば16人のうちの一人、ひ孫に至れば・・・・。墓など永代供養と言ったところで100年のうちにはみな無縁仏になり、新しい墓が立つだけのことだ・・・。
手を合わせ、目を閉じれば雑念多し、しかしすぐに現実に帰り、墓をあとにする。
ここはすぎもとさとしの吾亦紅が咲くほど田舎ではない。それでも墓に隣接する畑には里芋畑。里芋の葉の上にはこんなに晴れているのに時折水玉がころり。そして隣には栗畑。15本くらい植わっており、もう緑色のいが球をたくさんつけている。
管理事務所あたりまで来て気が付いた。しまった、墓誌の上に草刈鎌をまた忘れてきてしまった。もう使い古した鎌で惜しくはないけれど、ほとけ様に鎌というのはよくないだろうと引き返した。1日10000歩以上歩くるけれど、ボケのおかげで今日は十分歩いた・・・・。
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