1480「利尻・礼文2島に稚内・・・北への思い」(8月1−4日)
「利尻・礼文2島に泊まる熟年じっくり離島旅4日間」というパックツアーにガールフレンドのAさんと参加して、楽しんできた。Aさんは学生時代に利尻・礼文に行ったことがあるそうだが、私は初めて、冥土に行くまでにいつか入っておきたいと思っていた。
利尻富士があまりよく見えなかったのが残念だが、天候がよく、おいしいものをたくさん食べ、フラワーガイドに教えられながら高山植物を楽しみ、観光旅行も十分して楽しい4日間を過ごすことができた。参加者は年寄りばかり14人。最高齢らしい男は87歳とか。
利尻島へ渡るフェリーを待つ間、かって底引き網漁業で栄えた瀬戸邸を訪問した。60せきもあった底引き漁船。1976年ころから日本の北洋漁業は衰退に向かった。日本もソ連も漁業専管水域について領海と同じ12海里から200海里にすると宣言、拿捕事件が続発し大打撃を受けた。底引き漁船は今では6せき程度になってしまったとか。小樽にあるニシン御殿もこんなものかもしれぬ
北防波堤ドーム。かって、太平洋戦争以前ここからサハリン太泊に定期船が出ていた。稚泊航路。サハリン航路は最近まで東日本海フェリーがハートランドフェリーと名を変えてから、週2便程度運航が継続されていた。しかし採算に合わぬということで撤退したとか。変わってロシアの船会社の船が運行されているらしいが船体が小さくだいぶ揺れるということだ・・・・・。
北海道の一番北にはノシャップ岬と宗谷岬がある。ノシャップ岬は野寒布岬と書く。別に野沙布岬というのがあるがそちらは根室にあるもので本土最東端の岬、北方領土がよく見えるとか。丘の上に緑色のメロンのような物体が5,6個並ぶ、自衛隊のレーダーだそうで、あの大韓航空機撃墜をいち早くとらえた。Aさんがぽつりと言った。「自衛隊というのは見えないところでずいぶん働いているのね。」国境は平和だけ唱えて何もしなくて守れるものでないという思いをあらたにした。
宗谷岬は撮影スポットが沢山ある。見学時間が短く、上から下へ駆け巡った。日本最北端の地の碑。間宮林蔵の像。シーボルトが作成した地図に載っている唯一の日本人とか。高台の上には赤と白の縞の灯台。大韓航空機の犠牲者のための祈りの搭。鶴の先のよう。日露戦争の折、ロシア海軍がこちらに来るかもしれぬと見張った旧海軍の望楼。平和の碑・宗谷海域海軍戦没者慰霊碑 。
そしてなんといっても感動的であったのは稚内公園。まずは氷雪の門。昭和38年8月に樺太島民慰霊碑として本郷新により、地元の樺太関係者の手で建立された。 両側に高さ8mの門(望郷の門)であり、中央に2.4mの女性の像がある。顔は戦争で受けた苦しみを、手のひらを見せているのは樺太も家族も失ったことを、足はその悲しみや苦しさから早く立ち上がることを表しているとされている。門の向こうにはサハリンの島影が浮かび上がるというが残念ながら見えなかった。さらに昭和20年ソ連軍の侵攻により、青酸カリ自殺をした9人の電話交換嬢たちの慰霊碑。彼女たちが最後に発したという電文「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が涙を誘う。実はこのときは非番の女性もいて生き残った者もいるそうなのだが、この際その辺はどうでもいい。
北の大国ロシアと今までどんなことがあり、これからどう付き合ってゆくべきか、私なりに考えさせてくれた旅でもあったような気がした。
旅がもちろん北の話ばかりではなかった。レブンアツモリソウは蘭の一種アツモリソウの変種。しかし本土のものが紫色なのに、こちらのものは白に近い黄色。高山植物園で鉢植えのものであるが見ることができた。なおベストシーズンはレブンアツモリソウをはじめとする高山植物が一番美しい6月、とはあとから教えられた話、みなさんもいかが?
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