生まれて1週間の癖に、いやにおちついた顔をしている。
今日入園式を終えたばかりの千夏にくらべて格段に小さい。こわごわ抱き上げても、ほんの小荷物を持っているくらいの重さだ。ぐずりだした。抱き方が気にいらぬのか、乳が欲しくなったのか、糞をしたのか? ふにゃふにゃとゼリーのよう、壊れそうで仕方がない。母親に渡すと、彼女は無造作に持ち上げ小さなベッドに押し込む。
また眠りに入る。ほほをつっつく。うるさそうに顔をそむける。目はまだ閉じたままである。指を手にちかづけると握る。何でも近づいてきたものは握る、という様子で、こちらのことを考えている様子はまったくない。千夏が「こちらにも関心を持て。」とばかりにじゃれついてくる。
先月末に息子からようやく生まれた、との電話がかかってきた。3日まで病院だから,その次の日曜日でも来たら・・・・。私にとっては3人目の孫、どの子も忘れ物をしてきて、昔流に言えば世継ぎがいない。それでもうれしいことに変わりはない。オーストラリアからのお土産とちょっとした額のお祝い金を用意して、朝から東名をとばし、彼らの住む裾野のY社寮に向かう。北風が少し涼しいが快晴、気持ちのいいドライブだった。
寮のあるところはY-CITYとの看板がかかり、研究所、工場などと共に住宅、今日千夏の入園式を行った幼稚園まである。終ってCITY内を散歩。桜が満開でなかなかいい雰囲気。小さな小さな池にはアメンボが泳いでいた。探していたおたまじゃくしはもう蛙になってどこかにいったのか、見かけなかった。千夏は私からもらったペンギンの人形を抱え、今度はお洋服がいい、など調子のよいことを言っていた。握った小さな手が少し汗ばみ、何をつかんだかネチャネチャしている。
「孫」という歌があった。あれはただひたすらに孫が可愛いことを歌ったものだ。
しかし娘のところに初孫の葉月が生まれた時も、息子に千夏が生まれた時もそれほど感じなかったように思う。少なくとも彼らが何にもまして可愛いなどではなかった。
孫は、一般的には一方的な愛を要求する。彼らは両親からでも言われない限りじいさん、ばあさんのことなど気にしない。それでいて欲しいものがあれば打出の小槌かなんかみたいに要求する。年をとって動けなくなっても、面倒を見てくれることなぞまずない。それは直接育ててもらった父さん、母さんの役目だ。
それでいて可愛い、いとしいと感じるのは、おかれている本人の状況がそう感じさせるのでないか。二人の孫が生まれたとき、私はまだ現役だった。もうとっくに先が見えていたけれども、何か奇跡でもおこらないでもない、くらいに未来を考えていた。
しかしリタイヤした後、可能性が完全になくなったことを認識する。自分はこのままどういうことをすることもなく死んでゆく。旅行も趣味も楽しむだろう。ボランテイア活動をするかもしれない。時には教養とやらを高めるために何かをするかもしれない。そしてそれらは生きがいなどという言葉で呼ばれるのかもしれない。しかし本質的には暇つぶしだ、死ぬまでの間のつかのまの暇つぶし、と考える。
こんな私に比べると、父はなかなか娑婆っ気が抜けなかったように思う。絵画の腕がプロ級だった。杉並区からは毎年招待されたし、ピカソを、あれは技術的にはどうかね、というくらいだから自信は相当のものだった。いつか認められる、認めないのは世間が悪いくらいに誇りを持っていた。趣味も音楽、写真など幅広かった。それゆえ逆に彼は孫は親しいが関係ない他人くらいに考えていたようだ。ただ死ぬ2,3年前になって、大分悟ってきた。一番よく面倒を見た次女には、時に心情を打ち明けていたらしい。
嫁の母方のおばあさんが、世話をしに来てくれていた。息子がそっと「耳が悪いんだ。よほど大きな声で言わないと聞こえないよ。」と言っていた。お茶を入れてくれた。昔の人らしくひどく恐縮して手をついて挨拶され、こちらがあわてた。世話をかけるなあ、と思いながら、彼女にとっては、孫とひ孫の世話はこの上なく楽しいのかも知れないと思ったりした。
男に対して女は、ずっと早い時期に子や孫が可愛くて仕方がない時代を迎えるような気がする。それは時には結婚生活への絶望と裏合わせになっている。そういえばガールフレンドのAさんも「息子の夕飯を作らなければならない。」「娘が孫をつれてやってくる。」などとばたばたし、私は二の次におかれるように見える・・・・。
早めに出て4時ころ我が家に戻る。久しぶりのドライブでひどく疲れたが、もしかしたら千夏の放つエネルギーのせいだったかもしれない。
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