まったく閑な一日だった。
いつかやって見たいと思っていた山手線一周をやった。11時10分新宿から池袋方面行きに乗り込むと簡単に席が取れた。バッグから村上春樹の「1973年のピンボール」(講談社文庫)を取り出し、読み始める。初期の村上作品は感性がすばらしく、人々の心の琴線にふれるところがあるように感じてうれしい。
読み疲れると周囲の人々を見わたした。背広を着てバッグを抱えた男がいる。化粧のにおいのぷんぷんする女が携帯電話のメールを熱心にみている。どういうわけかセーラー服を着た女学生がおしゃべりしている。音楽に聞き入っている若者がいる。私のように文庫本に読みふける中年がいる。ホームレスらしい腰の曲がりかけたじいさんが通り過ぎる。席を譲る者はいない。弱弱しく、その上、人に良い印象を与える老人でないと、人は親切げを起こさぬものらしい。この時間電車に乗る人に決まった形はない。
池袋を過ぎると電車はすき始める。8人掛けの席に6人くらいがゆうゆうとすわる風情になる。東京駅を過ぎるとまた人が増え始める。大崎は湘南線などが乗り入れ急速に発展しているらしい。ここからお台場にも直通があると聞いた。渋谷でまた一段と人が多くなる。新宿、一周である。ふと気がつくと12時10分過ぎ、山手線一周は1時間かかるということだ。ピンボールの最後の50ページくらいは品川あたりで読み終えた。
切符は荻窪から130円の最低区間を買った。これで行けるのは阿佐ヶ谷、高円寺、西荻窪、迷った末高円寺でおりた。駅前のアーケードのある商店街を南に向かった。商店街は大型店に客を取られるのか、ひどく活気がない。青梅街道に出たところに「ブーケ」という小さな喫茶店があったのでカレーを注文した。隣の男3人組はどこか洋服屋チェーンを経営しているらしく、商品のレイアウトのことやどこやらの支店を閉める話を熱心にしていた。カレーはうまくもまずくもなかった。
列車の静かな振動と関係のない人の出入りと車窓から見える意味のない景色の変化は人に妙な安心感を与える、心を癒す働きをする、そんな風に思う。
昔、大学の受験が終ったときある友人は東京駅で切符を買って姫路まで行った。姫路について考えたが,城を見る気もしなかったのでそのまま帰ってきたそうだ。「何しに行ったのだ?」といえばそれまでだが・・・・。
そういえば新幹線ができたためか、いつの間にか東海道線の普通列車がなくなった。大阪まで10時間掛けて駅弁をつつきながら旅したい、と思う人はいないのだろうか。急ぐばかりが人生ではあるまい。
オーストラリアのメルボルンにトラムカーを改造したレストランがあるらしい。夕方の7時かそこらに乗って終るのは夜中になるという。なぜならそのトラムカーは本当にどこかの廃線の上をことことと走り続けるからである。日本にもこんな粋な列車があってもいい。山手線の後ろにレストラン列車?少し安易に喫茶列車?
村上春樹は「ねじまき鳥クロニクル」の中で「一つの場所がよさそうに思えたら、その場所の前に立って、一日に三時間だか四時間だか、何日も、何日も、何日も、何日も、そのとおりを歩いていく人の顔をただただじっと眺めているんだ」と書いている。そうするとその町が本当に分かるのだそうだ。
今日の山手線一周は意味のない3時間余りだったかもしれない。ただ家に戻って思い起こすと村上のように何日も、何日も、何日も、何日もは無理だが、考えもなくもう一周か二2周してみても良かったのかもしれない、と感じた。
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