1501「喪服でカラオケを」(1026日(水)晴れ)

 

小学校時代同じクラスであったa君がなくなった。

肺炎を患って河北病院に入院した後、今度は癌であるなど言っていたがよくはわからぬ。

私は近くの桃井第五小学校に、昭和23年に入学した。戦後間もないころで授業は二部制、教科書は足りずくじ引きで私ははずれ、父親が先生から借りてきて一晩かけて写してくれた。脱脂粉乳の給食が配られ始めたのは、2年生か3年生のころであったと思う。

4年生の時に近くに四宮小学校というのが新設され、私はそこに転校になった。a君とはそこで同級生になったのである。一緒に遊んだかもしれぬがあまり記憶にない。中学、高校、大学のころもあまり付き合いはなかった。

社会人になってから小学校の同級生として親しく付き合うようになった。彼は三菱商事系の商事会社に勤務していた。1975年のサイゴン陥落のころ、残った者の脱出のために、大使館などと連絡を取りあって苦労したことをよく思い出話として語っていた。その経験があるから政治にも一言あった。よく私は聞かされた。私の特質からだろうか、友達と話すとき、ある程度政治や経済の話に関心がないと興味が半減する。しかしそういう友達でしかも色眼鏡を掛けずに話せる人は案外少ない。私にとってはそれに答えてもらえる数少ない友の一人であった。

小学校の担任のm先生を嫌っていた。先生がパーキンソン病で臥せっていると聞き、クラス仲間でお見舞いに行ったが彼は頑として同行しなかった。m先生は教育に一言有り、自然観察に詳しいいまどそれなりに優秀な先生であったが、軍人上がりでけっこう依怙贔屓するところがあった。小学校の同級にひどく家の貧しい子がいた。その彼が教材を持ってこない、勉強しないなど、先生は時につらく当たった。a君が「彼がそれができないことをわかっているのに責める。教師としての資格がない」などと怒っていた。筋を通す正義漢なのであろうか。

整体師の資格を持ち、フィリピンで長く教えていた経験もあるとのことであった。私のガールフレンドのAさんが何かを持ち上げて腰が痛くなった時、彼女の家まで来てくれていろいろ治療してくれた。背骨と神経は複雑に絡み合っている。その絡みをなくしてやれば腰の痛みは治ると言っていた。そのための体操なども教えてくれた。そのお礼を兼ねて上井草の「青柳」という菓子屋でお茶を飲んだのも今となっては懐かしい。

この夏ころであったろうか。おなじ同級生のb君がまた仲間で会おうと提案し、a君にも声をかけてもらった。しかしb君が彼に連絡したときの結果は

「「体調が悪く、家にじっとしている。人と会うと10分もしないうちに苦しくなる。」ということで会えないそうだ。「秋になって元気になったらぜひ会いたい。」と言っていった。しかしあの調子では長くないかもしれない。」

結局私は会うことはなかった。葬式に行かないかと、私は近くに住む同じクラスのc君を尋ねた。しかし彼もまた体調を崩している様子でとても行ける状態ではないようであった。

この歳になると体力、知力、あらゆる面に年齢差では言えぬ大きな差が出てくる。一方でTVでは82歳でまだ社交ダンスを続けているおばあさんの話を報道していた。死は悲しいけれども、私はできるだけそういう人を目標に進んでゆきたい。

追記(28日) 堀之内の斎場で告別式。雨がしぶき、急な冬の訪れを感じさせる一日。

b君、e君、dさん、私の4人で待ち合わせ参列。死者ずいぶんやせたように感じたが、安らかな死に顔であった。遺影は元気だったころのにっこり笑った写真。

小学校5年生のころであったろうか、クラスで御岳山に遠足したときの写真が、パソコンに入っていたのでコピーして持参した。もう私など半分くらい忘れたけれど、dさんはよく覚えていて、懐かしがっていた。この前、高等学校のクラス会があったとき、私は「50人のうちまだ亡くなったのは3人、優秀な高校であったせいか、みなその後賢い生き方をし、それなりに幸福なようだ。」というようなことを書いたが小学校は真逆、多くのものが已に鬼籍に入っている。クラス会を開いたところ大喜びしていたf君、幹事をしていたgさん、頑張っていたhさん・・・みな今はいない。みなで形通りに焼香し、出棺を見届けてから帰路に就いた。4人で荻窪に出て昼食をとり、そのあと「コーヒーよりその分でカラオケに行こう。」ということになった。

コーラス部にいたことがあるというdさんは特にうまい。a君をしのんで「涙そうそう」、最後には「サントアマミー」を歌っていた。死者には申し訳ないが大変楽しい時を過ごし、「忘年会はいつものように飲み食いではなくカラオケにしよう。」というものまで出る始末。喪服姿でカラオケは少々不謹慎かもしれぬが、陽気な我々に死者も喜んでいるかもしれぬ、とも感じた。

 

註 ご意見をお待ちしています。

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読者からのメール

喪服でやるなら詩吟のほうがいいですよ。

小生の詩で応用範囲の広いやつをもう一度ご紹介ます。

  百歳の人生 竟にまったからず

  憐れむべし 友の客となりて 黄泉に逝くを

  浄土 閑あり ○○を楽しむ

  しばし待て 我もまた赴きて 君を訪ねん

○○のところは本人の趣味をいれればよい。

例えば 俳句、例えば 囲碁 烏鷺 将棋 吟詠 etc

扇子に揮毫して、墓前にそなえるもよし。

この詩は一度作れば応用範囲がとても広いのですよ。

憐れむべしは惜しむべしでもよいですよ。