1538「昭和32年の思い出」(3月11日(土)晴れ)
夜TVチャンネルを回していると、懐かしの歌声と称して昔の歌謡曲を新人歌手などが紹介している番組。今日は昭和32年だという。昭和32年、中学校を卒業し、高等学校に入った年。このときの高等学校入試の問題はひどくやさしくて、9科目900点満点のところ、私の入った高校などは850点以上という滅茶苦茶な合格ライン。900点、つまり全科目100点だった者が二人いて語り草になった。しかしこのころはまだ戦後の復興のころ、中学校を出て近くの町工場に勤める者も結構いた。その町工場は今ではマンションなどになっているケースが多い。一つ忘れていた。ある人の言った言葉「僕たちは損をした!」何かと聞けば赤線地帯の廃止。やり損ねた、というわけか。Wikipediaによれば売春防止法(31年制定)の完全施行を控え、33年3月までに赤線内のカフェーなどを一斉に廃業したというもの。
番組は10曲選んでおり、10番目として最初に登城したのが「東京のバスガール」
初代コロンビアローズというおばさんが出てきて、本人が歌った。84歳・・・最近調べたから知っているのだがあの今頃引っ張り出されて追及されている石原慎太郎と同じ年齢だ。あの頃はバスガイドがあこがれだった。この2年後で修学旅行で京都に行った折、案内してくれたバスガイドが美人だった。その後映画監督になり、写真のうまかった男が、彼女の写真を撮った。その写真は私のアルバムのどこかに今でもあるはずだ。まだ元気な頃、「発車オーライ」を「発射オーライ」と書いたやつもいた。
「有楽町であいましょう」フランク永井のこの歌はそごうの開店イメージソング?であったという。いつのまにかBICCAMERAになってしまった。
島倉千代子の「東京だよ、おっかさん。」神武景気と呼ばれたころ、高度成長時代の一歩手前、井沢八郎の「ああ上野駅」が出たのは39年である。東京におっかさんを連れて来れば喜ばれ、記念の写真を撮った時代。ネットを探していたら「糖尿だよ、おっかさん」という替え歌にぶつかった。「久しぶりに病院で検査を受けるうれしさに・・・・」今の私たちにはこちらの方があっているかも・・・・。興味のある人は調べてください。
「歓びも悲しみも幾年月」は同名映画の主題歌。海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマ。映画は1956年に雑誌掲載された福島県塩谷岬長の奥様の手記から題材を得て、木下監督自身が脚本を執筆した。どういう機会であったか忘れたけれども、荻窪の公会堂に聞きに行ったことを覚えている。後年工事中であったが塩屋岬を訪れた。セットしてあるスピーカーからは美空ひばりの「みだれ髪」が流れてきた。あちらも塩屋岬が主題。
三浦洸一「踊り子」。テレビを買ったのはご成婚のころであったから大分後になると思うが、この歌を聞いた。なんてきれいな声の出るきちんとした感じの人と感じた。
三波春夫「チャンチキおけさ」三波春夫のデビュー曲。中野区江古田にあった三波邸(現在はマンション)前の通りは、地元住民から本楽曲にちなんで「ちゃんちき通り」、自宅は「おけさ御殿」、「ちゃんちき屋敷」と呼ばれ親しまれたとか。
石原裕次郎「おれはまってるぜ」。裕次郎のこの歌がヒットしていることを知り、慎太郎が映画のシナリオを描いたのだそうだ。ただしこの映画は見ていない。映画「太陽の季節」が公開されたのがこの前年。私は性意識の盛んになり始めたころ。広告の写真だけで興奮した。
夢?がかなった。昭和35年にヌーベルバーグの旗手大島渚の「青春残酷物語」が公開され、そっと見に入ったのを覚えている。
春日八郎「あんときゃどしゃぶり」聞いたことはあるが知らない歌。
一番は美空ひばりの「港町十三番地」であった。この歌もあまりよく知らない。ひばりが生前好んで歌ったマドロス曲の一つであり、ひばりの故郷である横浜市と隣の川崎市が舞台になっている。京急大師線港町駅にこの歌碑が立っているそうだ。
最後に懐メロカラオケパソコンを検索すると、年度ごとに代表曲のカラオケが流れてくる。昭和32年は上述のような歌が主体で、ほかに「おーい中村君」「柿の木坂の家」など私の興味を引く曲もあった。また事件欄には南極基地とあった。
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