1540「まだまだ豊洲問題」(3月22日(水)晴れ)
百条委員会で石原氏追及というシナリオは不発になったようだ。
自分で言うのもおかしいが、そうなるだろうと予想していた。84歳のすでに引退した先輩を呼び出して追及するというやり方自体、人々の共感を呼びにくいと考えた。平均的な日本人のハートには、まだ儒教的な親や年寄りを大切にしろという心が残っている。それゆえそういう人たちが「ぼけてしまって」と逃げると追及のしようがない。
基本的に豊洲購入や決定の理由や責任を追及するより、やらなければならないのは「今、どうするか。」ということだ。問題をすり替えていると感じる。
豊洲購入の決定について「既定方針で会った。印を押しただけ。」の意見がある一方「石原さんが決めた。」の意見がある。どちらも私は正しいのではないか。日本では会社など組織の経営を「オミコシ経営」と呼ぶ。みんなで騒ぎながら方向を作ってゆく。だから責任の所在が不明確である。しかし合意が形成されるから、よい面もあるのかもしれない。最近の企業は誰が責任かはっきりさせようという傾向が強いが、官庁などはまだまだそれなのではないか。築地は都心に近すぎる、不衛生だ、などの指摘があり、それではどこにするかの議論があり、豊洲しかないではないか、環境問題があるが何とかなるだろう、そんな風にだんだん決まってゆき、最後に石原さんが印を押したということではないか。
トップがこんな大事なことを詳しく知らないで・・・・と驚いた様子の人も多いようだ。しかし原点は「少々のベンゼンやシアンが出たって、食品を扱うための水は外から持ってくるのであろう。」ということだったはずだ。戦国時代の大将、小さな会社の社長などであればすべてを知らなければならぬ。しかし組織が大きくなれば人に任せて自分はその上に立たねばならぬ。一人のできることは知れている。それゆえ企業には個人経営から組織経営にかわる難しい壁があると言われる。都知事ともなれば大組織に外から来た人、事情をすべて知るわけではない。全部知らなくて当たり前だ。
地下水について9回目の検査でベンゼンなどで高い値が出た。調べて見ると検査会社が今までやったことのない業者、測定方法が違う、などいろいろ議論が出た。そこで専門家会議が再調査を行ったがやはり少し高い値。結局新しく稼働を開始した地下水管理システムにより、土壌に残存していた有害物質を含む水が移動した可能性や、土壌中の油分から有害物質が溶け出た可能性などが指摘された。しかし平田座長は再三「地上と地下を分けて評価をしたい」と強調。地上は建物の1階などで大気測定を行なっているが、問題となる値は出ていないという。地下については(豊洲市場内にある)揚水システムを用いて浄化していくことになるだろう」との見方を示した。
結論は出ているのである。さっさと豊洲移転を宣言すべきなのだ。ところが小池氏は、安全であっても庶民が安心と感じるかどうかは別問題と、エモーショナルな話に替えようとする。しかし最近のある記事は「小池知事はその心情を「共感と大義」であるという。人々の本能的欲求に寄り添い「理より情」にアピールする。しかし、人の「情」に乗じて、扇動する手法には限界があるし、人々は「安心」をうたいながら、「風評」を作り上げるやり方の欺瞞に気づき始めている。」としていた。
まだ小池人気が絶大である。私もあの都知事選挙の時には一票を投じた。そしてスタート当初は都庁の職員を信用せず、どんどん決めてゆくやり方に感心もした。しかし最近は失敗ではなかったか、と感じている。小池さんだけで都政を動かせるものではない。民主主義の基づく政治は皆の共感を得ながら進めてゆくべき筋合いのものだ。
すでにわずかな逆風に気づき始めたか、自民党は7月参院選に向けて協調路線から対決姿勢に移ろうとしているように見える。また「いい加減にしてさっさと決めろ、石原さんの言うことの方が正しい。」との意見もある。
小池さんは困っているに違いない。問題はぶち上げたが、なんと着地点を用意していないようなのだ。私の知人たちは「豊洲に決めれば「あの自分を「オオドシマ」と言った石原氏に負けることになるし、議論を遅らせて無駄な出費をしたとたたかれかねない。築地に戻せば「今までの知事がやってきたことは何なのだ。税金が無駄に使われた。」と言われる。」「小池氏はあの問題を選挙に利用しようと考えただけだ。都議会選挙が終わればそっと豊洲に移す。」などとささやいていた。既定路線を弄ばれ、税金を費消された都民こそいい面の皮ということにならないか。この結論、果たしてどうなるか。
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