1566「峨眉山月の歌と観光思い出」(6月27日(火)曇り)
詩吟教室があった。今まで歌わなかった好きな詩を吟じて見よ、と言うので、「峨眉山月の歌」、「清平調子2」等を吟じた。前者は思い入れが深い。
「峨眉山月半輪の秋 影は平羌江水に入って流る
夜青渓を発して三峡に向かう 君を思えども見えず渝州に下る」
2010年弟夫婦と一緒に九塞溝旅行をした折に峨眉山と一緒に世界遺産に指定されている楽山大仏を観光した。日記を紐解いてみる。
6月11日(金)曇り(峨眉山観光)
・・・・(成都からバスで)2時間くらいで峨眉山観光センター到着。お城みたいに立派な入場口。園内用のバスに乗り換えるがオンボロバス。登り道、ワインデイングが激しい。川ぞいの道。小さな滝が所々に現れ美しい。ところどころ、路傍で枇杷など売っている。蛇が出るそうだ。1時間くらいで山の中腹のお土産や前で車を止める。漢方薬の原料やお茶を販売しているが売れている様子はない。エンジンを水で冷やすために車をとめたのだとか。何しろ高度3000m、大変なのぼりである。ようやくバスセンター着。小雨模様のため雨合羽にする。
ここからは徒歩で山道を歩きロープウエイセンターを目指す。石段がしっかり整備されているため歩きやすい。人、人、人・・・・中国人も豊かになったもの!やはり漢方薬、お茶、あるいはふかし芋など売る粗末な露店。View
pointらしきところは、千尋の谷、霧、石楠花。
突然上から、観光客を台の上に載せて担いでいる男が二人勢いよく降りてきた。
要するに駕籠かきである。あんなものに乗るようじゃだめだな、とあきれる。ようやくロープウエイ駅。1000mくらいを一気に駆け上る気分である。眼下に豊かな樹海。断崖が続き、霧、墨絵の世界。5分かそこらでつき、そこから歩いて少しのところにある寺のような構えのレストランに入る。2テーブルに22人、ぎゅうぎゅうづめ。次々に料理が運ばれてくる。魚のあんかけ、豚肉ときくらげの炒め物。しみ豆腐の煮付け、スープ・・・・庶民的な味。(中略)
霧の中に白い象が浮かび上がってきた。両脇に象の配された階段を登ってゆくと、一番上に金色の巨大な普賢菩薩像。さらに菩薩像の脇の階段を登って裏手に出ると広場、金色のお堂の上に「金頂」とある。ここが頂上らしい、3070mあるとか。
山を降りる途中、弟が躑躅の花の間に飛んでいる小さな緑色の蜂を見つけた。写真に収める。3時に普賢菩薩像下に集合。再びバス等で下山。(中略)
6時半頃楽山市の「嘉山ホテル」に到着。楽山市は人口300万余り、面積は成都市に比べやや広いくらいとか。ホテルの前を川が流れている。青衣江というのだそうで、岷江に注ぐのだとか。(中略・・・・詩に言う青渓は青衣江の上流、渝州は揚子江の下流で今の重慶あたりにあたる、岷江はやがて揚子江に合流、現在では重慶の先に三峡ダムができている。)
6月12日(土)曇り(楽山観光)
小雨、霧。バスで船着場に着くが、船が出ないとのこと。そこで歩いての楽山大仏観光を優先する。唐代に作られた弥勒菩薩。高さ71m、幅28m。
ここは岷江、大渡河、青衣江(注、平羌江水は古名)が合流する地点、転覆事故が多かった。それを鎮めようとあるお坊さんが彫り始めたのだとか。階段を登ってゆくと、仏頭が見えてきた。木陰に覆われた広場になっている。仏塔の脇の山道は下まで降りてゆくことが出来るが40分、足に自信のある方はどうぞ。細い崖沿いの階段を途中まで下った。集合時間に遅れて成らぬと、写真を撮るとすぐ帰還。結局25分くらい。
(注 大仏を彫った僧は海通という人。民衆の布施の下に寺院・凌雲寺に隣接する崖に彫り始めたが、743年になくなった。節度使が後を受けて工事、803年に完成。当時は13層の建物に覆われていたそうだ。李白がこの詩をつくったころは工事中ということか。)
仏頭と向かい合うように凌雲寺というお寺。正面にまた布袋が鎮座している。庭に入ると線香の煙がもうもうと立ち込めているが、本堂は修理中で見られない。
天気が少し回復してきた。船着場に戻ると出航できるとの事。船は大仏の前を過ぎ、また戻ってきて大仏の前で止まる。ここがシャッターチャンスなのだが、大仏を背景に記念写真を撮りたい気持ちは皆同じ、中国人カップルなど私に「お前、邪魔だからどけ。」という仕草、なかなか大変である。・・・・・
最後に現在練習している漢詩は「早に白帝城を発す。」白帝城は三峡下りの途中にあるそうだ。またその詩にある江陵はその下流、洞庭湖近く、揚子江を更に下ると黄鶴楼がある。
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