1577「李白の静夜思」(8月9日(水)晴れ)

 

唐の詩人、李白の作った詩に「静夜思」があり詩吟でよく吟じられる。

李白は青年になるまで、揚子江の上流のその支流の奥でのんびり過ごしていたらしい。読書に励むとともに、剣術を好み、任侠の徒と交際した。その文才を認められる一方、峨眉山など蜀の名勝を渡り歩いた。そのころ唐は玄宗皇帝の治世で、平和が続き、発展している時期であった。一旗揚げようとでも考えたが、25歳になって故郷を離れ、洛陽、太原、山東などを放浪した。故郷を離れた翌年にこの「静夜思」を作ったと言われる。

床前看月光 疑是地上霜 挙頭 低頭故郷

*床前月光を見る 疑うらくは是地上の霜かと 頭を挙げては山を望み 頭を垂れて故郷を思う

*静かな秋の夜、ふと寝台の前の床にそそぐ月の光を見ると、その白い輝きは、まるで地上におりた霜ではないのかと思ったほどであった。そして、頭を挙げて山の端にある月を見て、その光であったと知り、眺めているうちに遥か彼方の故郷のことを思い、知らず知らず頭をうなだれ、しみじみと感慨にふけるのである。(関西吟詩文化協会)

*五言古詩。下平声七陽韻の光、霜、郷の字が使われている。三句目と四句目は「挙頭」と「低頭」 、「望」と「思」、「山月」と「故郷」がそれぞれ対句になっている。(関西吟詩文化協会)

ところがこれは日本で吟じられているもので、本場中国では

床前明月光 疑是地上霜 挙頭明月 低頭故郷 

となっている。第一句が「看月光」が「明月光」になっている。これでは月光を見()るが、「明るい月が光っている」になる。また第三句は「山月」が「明月」になってる。山の端の月から単なる明るい月になっている。そしてそれは童謡のような節回しで軽い調子で歌われている。ある人は向こうは陰旋律、詩吟は陽旋律というが詳しくは知らない。

成都に李白の記念館がある。高度経済成長に沸く中国、素晴らしく立派で、訪問した人の感想では「ひとつひとつを丁寧に鑑賞していたら、人生が終わってしまう。」とか。ところがここにかかっている額も「明月」である。

どうしてこう変わってしまったのか。友人から聞かれて、理由を調べた。幸いなことに中国の我々が関心があるくらいの文献はほとんどインターネットで検索できる。「古詩文網」というサイトを開き「静夜思」と入れてみると、詩文と丁寧な解説がでて来た。その中に版本説明とし、この辺の事情を説明している。中国語を少しやっているので懸命になって訳す。

*現代中国で歌われている静夜思は明の時代に歌われていたものである。

*日本にこの詩が伝わったのはそれ以前宋の時代であったらしい。唐の文化を重んじる日本はずっとそれを尊重している。

*しかし時代が下って明の時代になると次第に、多くの文献で明月版が使われるようになった。

この辺について少しつたない訳文からとると、

「宋代に出た「李太白文集」、郭茂情が編集した「楽譜詩集」、洪編集の「万首唐人絶句」の「静夜思」の第一句は等しく「床前看月光」、第三句は等しく「挙頭望山月」である。」

「明代になると赵宦光,黄习远が宋人洪迈の「唐人万首絶句」を整理校訂し、静夜思の第三句を「挙頭月」としたが,第一句は「床前看月光」のままであった。清朝康煕年間沈徳潜の「詩別」では第一句を「床前明月光」、ただし第三句は「挙頭望山月」とした。直後の1763年乾隆28年の蘅塘退士編集の「三百首」では、両者を用いて「床前明月光疑是地上霜挙頭望山月低頭故郷」とし、これが現在に至るまでテキストとなっている。」

これについて次のように考察している。

*変えた理由は一つに原典が存在せず、「こうであったらしい」という本はいくつもあったらしい。

それゆえ、古いから正しいというわけではない。

*もう一つ文学的に考えてみると

第一句で「床前看月光」の場合、中央に動詞「看」が入り、語気がやや重い。さらに月光は無形のもので、特に「看」るものではない。もし看る対象と考えるなら霜であれば間違いはない。これに対し明月光は月光が瞼に映ってくる様子で下の句「疑」と呼応し自然である。さらに明の文字が増えて月が明るく感じられる。第三句の「望明月」は「」と比べて地理的制約を抜け出し、自由に感じさせる。文人は月あかりを区別して山月、海月などいうが、庶民には明月が月明かりを象徴させなじみやすい。」

ということで「明月版」の方が理にかない、人々に愛されるようなった。今となっては李白の詩が実際にどうであったかはわかりようもないから、明月でいいのではないか、としていた。

 

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