158「灰とダイヤモンド」(5月4日  晴れ)

また、暇つぶし技術を開発。過去に見損ねた名作をビデオ屋で借りてきて1週間に1本くらいの割合で見ようと考えた。普通、映画館では一度しか見られぬが、登場人物、その場面の意味など理解しきれぬところが多い。そこへ行くと2度、3度見られるビデオは便利である。先週は「ピアノレッスン」今週は「灰とダイヤモンド」

後者はポーランド映画、57年製作、59年日本公開、アンジェイ・ワイダ監督、1959年ヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞受賞。白黒映画でポーランド語など分からぬから、字幕を追い続けなければならないが、非常に良くできた映画である。

1945年、祖国ポーランドはソビエト軍によってナチスの手から解放された。しかしそれに失望した自由主義系の抵抗組織は、マチェック等3人の若者に命じ、書記長シチュカの暗殺を企てる。しかし教会で待ち伏せ、惨殺した二人は一介の労働者で人違いだった。今日は市長主催の晩餐会が開かれ、そこには書記長が出席する。書記長は晩餐会がはねる頃、自室に戻るだろう、そのときをねらえ、これが次の指令であった。マチェックは、テロと平凡な人間としての狭間をさまよい、最後に町外れのゴミ捨て場で無残に死んでゆく。

映画も小説も同じだけれども、見たり読んだりする本人の状態、その時代等によって感じるものはおおきく違うのだと思う。
僕が今回感じたのは「人物像がうまく描けており、現代にも通じる。」という点だった。

マチェックは直情径行的、上からの命令を絶対実行するというスタイルだったが、ホテルのメイド、クリスチーナに愛を感じたとたん平凡な生活もいいのではないか、と迷う。しかしその悩みを上官に打ち明けたところ「おれに女が好きになったようだから、テロをやめろ、と言わせるのか。」くらい言われ、結局は決行する。ところがこの上官自身、首謀者の少佐に「シチュカは本当に殺さなければいけないのでしょうか。」と相談している。

監督はこのマチェックを格好よく描く一方「崇高な目的があろうと、無辜の民を殺すことは許されない。」と訴える。マチェクが、ホテルの部屋から、隣家で許婚を今日の教会待ち伏せで失い、泣き叫ぶ女を発見する場面、クリスチーナの靴を祭壇のベルで直そうとし、殺した二人の労働者の死体を見つける場面がそれである。

またモスクワに留学していたために別れ別れになった息子が抵抗組織に属しているらしいことを知り、どうしたものかと悩む書記長の姿も考えさせる。

主人公がクリスチーナに岩に書かれたノヴォクの詩を読んで聞かせるシーンがある。
永遠の勝利のあかつきに、灰の底深く
さんぜんたるダイヤモンドの残らんことを
そこから作品タイトルは取ったのだが、永遠の勝利がこないことも、ダイヤモンドが見つからぬ時があることも銘記しなければならないのではないか。

僕はまたあのくだらない市長秘書にもなるほど思うものを感じる。体制側にありながら、抵抗組織に情報を提供し、殺人となると腰をぬかす、酔っ払い記者の話でも自分の出世が絡むとなると意気投合、しかし飲みすぎてパーテイに出たときにはぐでんぐでん、最後には会場に消火器を噴きつけ、お払い箱にされてしまう。意志薄弱、右顧左眄、しかし案外こういう若者は今でもいるのではないか。

ふとイラク戦争のことを思う。イラクの人民もフセインはいや、しかしアメリカもいや、ということで、このポーランドと同じような状態に置かれているのではないか。自爆テロの連中、パレスチナ人民、人間の盾となろうとした日本の若者、何かマチェクと似た心を感じる。そして表面には現れぬが市長と同じ立場に置かれたその親たち・・・。

昔、文春文庫のアンケートによる洋画ベスト150という本を買った。この作品はその20位に入っている。評には冒頭の筋書きに加え「この作品は、60年安保前夜の日本の若者たちに強い衝撃を与えた」「主人公のスピグニエフは本作から9年後の1967年に転落死している」などと書いてある。しかし重要な点はむしろ書記長の悲しみであるとか、殺された労働者に思いを起こさせる監督のやさしい姿勢ではないか、と感じた。

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