1587「乃木神社で奉納吟」(9月13日(水)晴れ
昨年に続いて(通信1492参照)乃木神社例祭で詩吟奉納。
今年はa氏、b氏、c氏、d氏4人と私の5人。a氏が先導した。
隣接する乃木邸は乃木夫妻の命日にあたる9月13日に公開されている。今年は11月1日から3日にかけても特別公開される。我々の師匠e先生が今日見てきたという。乃木大将が自刃した部屋が遺品とともに公開されているとか。
例祭はご夫妻の命日にあたる今日9月13日。ホームページから転載すると
「神職は前日から神社に籠り、お祭りに備えます。平成24年が御祭神が神上がられてより100年でした。また、ご夫妻の墓前にも祝詞を奏上し、明治天皇に御殉死された時を偲びます。夕刻には神社本殿で吟剣詩武道が奉納されます。」
今年は「富嶽」を吟じた。腹から声を出し、それなりに悪くはなかったと思う。この詩は珍しく霊峰富士についての風景描写。乃木将軍の作詞は明治10年というから30歳近くのことから始め、およそ35年にわたっているという。
崚嶒富嶽千秋聳(崚嶒たる富嶽、千秋に聳ゆ)
赫灼朝暉八州照(赫灼たる朝暉、八州を照す)
説休区区風物美(説くを休めよ、区区、風物の美)
地霊人傑是神州(地霊人傑、是れ、神州)
全部で21組が詩吟を吟じたり、剣舞を披露したり・・・・。御祭神の作品を演じるのが原則だが、中には偲ぶ漢詩や明治天皇の御製を吟じる者もいた。
いわゆる詩吟の大会とは違うから歌い方は自由。上半身を振り、感情たっぷりに吟じる者も目立った。また参加は自由の様で、最後に「金州城下の作」に合わせて剣舞をまったじいさんは途中で2度も派手に転んだ。観客から「あれは演技なのか、本当に倒れたのか。」との声が上がったが、特にけがなどした様子はなかった。噂ではじいさんは94歳とか・・・・・。
先輩のb氏に指摘されてほかにどんなものを吟じたらよいか、と考えた。ご祭神は乃木将軍。それゆえ将軍の作品であることが原則。去年は「金州城下の作」を吟じた。皆の吟じている詩は多くが「富嶽」と「金州城下の作」。
手元の「吟剣詩舞道漢詩集」から。
爾霊山 日露戦争さなか、第三軍司令官として指揮し、ようやくにして旅順の203高地を落とすことができた後その先頭の激しさを振り返ったもの。
法庫門営中の策 日露戦争さなか、明治37年旅順陥落、さらに奉天大会戦にも勝利の後、敗走する露軍を追い法庫門に営を構えたときの作。法庫門は今の瀋陽。
凱旋 日露戦争後、多くの兵士を戦死させた激しい戦いを振り返っての策。「野戦攻城屍山をなす、愧ず我何のかんばせあって不老にまみえん」が印象的。
神祭終了後、神饌や神酒のおろし物を参加者が分かち飲食する直来。結婚式場を兼ねている乃木会館だからそこはお手の物。いい気分になった。机の上にさりげなく「水師営の会見」の歌詞カードがおかれていた。
最後に参考。2012年5月末にパックツアーで大連に行った折、旅順等も行った。(通信1072)
「(6月1日)・・・・15分ほどということであったが元気に203高地に登る。大砲の弾を溶かして作ったという砲弾の形をした塔がたっている。爾霊山とある。汝の魂、ここに眠る、の意味を持ち、日本を向いているとか。あいにく霧がかかっていて何も見えぬから、楊さんはガイドブックの写真を開いて説明。
ここからは旅順港が一望なのだそうである。日本軍は最初東鶏冠山のロシア軍を攻めたが攻めきれず、こちらに転換。成功したのだという。旅順港を攻撃した28インチ砲やロシア軍の塹壕跡なども興味深かった。」
「(6月3日)・・・・金州。旅順に軍港、大連に商港が設置される以前は、中央より派遣された官僚は金州に居を構えており、この地方の行政、経済の中心地であった。以前は城郭都市であった。今は人口50万足らずの小都市。金州博物館。・・・・3階に日本統治時代の写真が展示してある。提督府はすっかり荒れていた。管理人だろうか、爺さんが住み着き、野菜などうえ、鶏を飼っていた。整備すればそれなりの観光スポットになるのだが・・・・・・。
南山(金州での激戦地)に登る。乃木大将の息子が戦死したところである。中腹にロシア人の戦争で亡くなったものを悼む塔があり、その先に彼が戦死したことを悼む記念碑か何かがあったらしいのだが、台座だけになっていた。乃木大将の子孫は残っていないらしい。下りてくるとここも農民が住み着いているらしく、赤い牛が3頭ほど放牧?されていた。」
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