亡妻の父、つまり義父がなくなった。91歳。
通夜、告別式は向丘遊園地駅近くのS会堂、曹洞宗式で行われた。曹洞宗は道元和尚の開いた禅宗で、福井県永平寺と神奈川県総持寺を本山とする。
「好きなことをやってきたのだから良かったと思います。」と義母さん。
義父は専門学校卒業ながら、N金属で重役にまでなった。その後、子会社の社長になった。その人柄から慕う人も多かったようだ。趣味が広く、書、墨絵、陶芸などを良くものにした。家庭も一男二女に恵まれ幸せだった。
しかし70くらいからついていなかった。
N金属が経営的に苦しくなり、銀座の本社屋などを売却するまでになった。ご自身の財産は株券とゴルフ会員権が主体だったらしいが、バブルの崩壊と共に泡のように消えて行ったとか。
葬儀は「うちうちにやるから。」ということで、N金属関係者などには声をかけなかったらしい。そのせいもあってほとんど親類縁者だけの寂しいものだった。「人間はやはり死ぬときは一人!」会社関係のつきあいなんて言うのは泡のようなものだ。
葬式で一番胸に迫るのは棺を炉に入れるときだ。さきほど棺の死体を満面きれいな花でうめた。その棺がすべりこみ、蓋がしめられ、この世とおさらばである。坊主がお経を唱える中、合掌!あとはゴーという音。
義父は3年半前、階段から落ちて、背骨をおかしくし、半身麻痺、入退院を繰り返した。義母さんは、隣の家に住んでいる息子一家に迷惑をかけまいと頑張ったが、シモの世話で大変とのことだった。しかし久しぶりに見る義母さんはずいぶん元気に見えた。みんなの話では、今年はじめから義父さんが入院し、義母さんは病院通いでよくなった、中断していた水泳を週一回はじめた、という。
伴侶の喪失について、男の場合にはどこか女を守ってやる、という責任感を持っているところがある。喪失は、ときに生きる意味の喪失にもつながりかねない。私が妻を失ったときがそうだった。女性のしかも義母さんのように高齢の場合はどうなのだろうか。
この義父さんの例から多くのものを学んだように思う。
介護は日本の現状ではつい連れ合いになりがちだ。しかし手に負えなくなった場合は早めに入院など考えた方がいい。そうしないと本人がつぶれてしまう。
財産については世の中、先のことはわからない。攻撃は最大の防御、守りの姿勢に入ってはいけない。早く引退するのは考え物だ。
世代交代を感じる。息子のA氏が挨拶の中で「また明治生まれの人が一人いなくなった。」といった。この明治には大正も含めていい。私の場合、両親はすでに去り、確かにもう残っているのは義母さんくらいだ。
しかしそれは少し先にわれわれが見送られる番になったことを意味する。私の長男が相変わらず口の減らぬことをいう。「Aおじさんの挨拶を聞いていて、葬式での言い方は分かったから、親父、いつでもいいよ。」水をぶっかけるぞ!
孫娘が、大人に言われたとおり、懸命に義父のオホネを拾っていた。この子の時代がもうすぐくる。息子よ、君もそのときは見送られるのだぞ。
遠い親戚のI氏も面白いことを言っていた。
「あまり元気すぎるのは困るのですよ。生命力が強いから、一度たおれてもなかなか死なない。義父さんのように骨折して、不自由になり、そのままになってしまう人が多い。」私の場合はどうなるか分からない。しかし頼れる人はいないと考えておいた方がよさそうだ。前者はともかくとして、後者は気をつけたい。ゆっくり、転がらないように!
そのI氏と私は安楽死の是非、楽しく終末を迎える設備の不足など語り合った。別に結論の出る話ではないけれど・・・・。
一度くらいそのうち義母さんのところに行ってあげよう、そんな風に感じながら式場を後にする。
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