「サクレ・クール寺院は、プロシアとの戦いに敗れたフランスが、世界の平和を願って19世紀末から建て始めたものです。しかし完成のお披露目をしたのは第一次大戦後、つまりドイツに勝って溜飲をさげた後なんです。」モンマルトルで聞いた日本人女性通訳の説明を今でも覚えている。寺院内天井周囲には、キリストを囲んで世界のいろいろな国の人が描かれている、前から5番目くらいに日本人の桜の枝を持った娘さんが描かれているとも教えてくれた。
パリは、何回か訪れた。それでもまた行って見たいと思う。数ある美術館をもう一度訪ねてみたいし、シャンゼリゼーを歩いて見たい。けれどもパリで一番訪問したいところといえばもう一度モンマルトルだ。あそこは東京で言えば浅草だと思う。特別に高いビルも建たず、古いパリが残っているような気がする。人々の裸の生活が息づいているように見える。
いつか一人で行ったとき、坂の中腹の安めのレストランに入った。西日を受けてばあさんが一人で食事をしていた。赤いハウスワインをとり、水で薄めて飲んでいた。ああいう飲み方もあるのかと感心し、ばあさんはさびしいのだろうなあ、と思った。
亡くなった妻と行ったとき、グランマニエとざらめの砂糖をたっぷりふりかけたクレープを二人で食いながら、画家の広場まで歩いた。夕暮れ時、少し絵を見た後、そのまま下まで歩いたが、建物の影に年配の娼婦らしき女を認め、怖くなって階段を逃げるように急いで下った。
今、私は、亡くなった親父の残してくれたユトリロのぶ厚い画集を、暖房の効いた自宅の洋間のソファーで見ている。彼は、モンマルトルで1883年に生まれ、祖母の元で育てられた。母親は、モデルで、ドガ、ロートレック、ルノワール等と親交があったという。だからモンマルトルの申し子みたいなもので、周辺の風景画で有名になった。
画集をくっているとラパン・アジルの絵が出てきた。サクレ・クール寺院の少し向こうにある酒場で、今でも存在し、夜毎シャンソンの生演奏があると言う。一度行きたいと思ってはいるが、まだそのチャンスがない。しかし、そばには行ったことがある。絵のような白い2階立てくらいの小さなもので、すぐ近くに絵にあるように今ではパリでここだけと言うぶどう畑が広がっている。
画集をさらにくると「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と題する絵が出てきた。真ん中に後ろ向きに風車が回っている。ムーラン・ド・ラ・ギャレットは19世紀末の最も名高いモンマルトルのダンスホールだ。オルセー美術館に、田舎娘と老人が楽しそうに踊っているルノアールの作品があるが、あれがムーラン・ド・ラ・ギャレットである。ロートレックが通った「ムーラン・ルージュ」はもう少し後になって栄えた。彼が描く踊り子達は、ルノアールの作品と比べ、なんとなくわびしく悲しげである。時代と共にせちがらくなったのだろうか。
昼間、ガールフレンドのAさんに誘われてアメリカ映画「ムーラン・ルージュ」を見に行った。「時は1899年、ある若い貧乏詩人がムーラン・ルージュを訪れ、そのトップスターにして高級娼婦のサテイーンと恋に陥る。やがてそれが世紀末のデカダンな世界の中で美しくも悲劇的な結末に終わる物語を、ミュージカル・スタイルで描いている。」ともらったパンフレットにあった。
主演のニコール・キッドマンはなかなかの美人、相手役のユアン・マクレガーも悪くない。しかしアメリカである。どう考えてもハリウッドのムーラン・ルージュである。あの何かは知らねど、哀愁のただようルノアールやロートレックの愛したムーラン・ルージュとはまったく異質の世界のものである。