1618「「夫の後始末」(曽野綾子)を読んで」(1月15日(月)晴れ)
(病院は親切にしてくれたが)夫が家に帰ったときの喜びようは、信じられないくらいだった。「僕は幸せだ。この住み慣れた家で、周りにたくさん本があって、時々庭を眺めて、野菜畑でピーマンやナスが大きくなるのが見える。ほんとうにありがとう。」・・・・・私はその時から、一応介護を決めたのである。夫にはできれば死ぬまで自宅で普通の暮らしをしてもらう。(7p)
・・・・・結局人間はその状況にならなければ本当のことはわからないのだと思う。帯に夫「90歳、妻85歳」「夫三浦朱門と過ごした夫婦の「最後の日々」とある。全編に著者の長年の間に培われた夫に対する愛情が感じられて気持ちよかった。
現在、私自身76歳。一昔前ならこういう本を読む気にはならなかったのかもしれない。90歳の夫が次第に衰え、やがて死に至る、それを見守り死後はその後始末をした・・・それだけの話だが、自分の枯れている立場と重ね合わせて感じるところがある。
書の感想やあらすじを書くのはどうも向かないので、かって読後感を書くときにやっていたように、そうだと思ったところを抜き書きし、自分のコメントを入れてみる。
*認知症は「近過去」から忘れてゆく、というのは実に正しい病状で、昔に話は覚えていても、さっき鳴らしたベルのことは記憶にない。(23p)
・・・・その通りで私も近過去をしばしば忘れるこの頃だ。行為の目的すら忘れてしまう。二階に上がって「俺は何をするのだっけ。」など考える。友人との語らいでは過去の思い出話がだんだん比重が大きくなってくる。
*いささか不法な現状と戦うには、知恵と柔軟性と、世間の常識を一切気にしないというやり方しかないということを発見したのだと思う(28p)
・・・・これもその通り。というよりも他人のことをかまう余力がなくなってしまう。だからいろいろな会合に出て楽しみたいけれども、オルガナイズする人がいなくなり、会が消滅するという話はよくある。
*会話力も同じである。幼い時、若いうちから年相応のつま先立ちしない自然な会話力になれるためには、国語力も、自分を保つ勇気も、いささかの知識も、他者に教えてもらうという謙虚な姿勢も、すべて学んでおかないと、老年の生活に滑り込めない(85p)
・・・・会話力を磨き、つねにブラッシュアップしていないと、自分の専門かあるいは病気と医者のことしか話題にできなくなる。もちろん他人の話を聞くという謙虚な姿勢は常に必要。知人に左翼思想にこり、話をそちらに常に持ってゆこうとする人がいる。だんだん友人が少なくなる。
*とにかく私はよほども苦痛がない限り、医療機関に近寄らないことが健康な生き方だと決めていたのである(112p)
・・・・・眼医者に「緑内障の手術をしますか。」と聞かれたとき私は親戚の眼医者に聞いた。すると「今見えない等の不便がありますか。なければやる必要はないでしょう。」年に一度健康診断は受けているが、そのほかはできるだけ医者に行かない方が賢明だ。
*聖路加病院の日野原重明先生と対談したときのこと・・・・やってはいけないことが三つほどあったように記憶した。胃ろう、気管切開、多量の点滴による延命である。(149p)
・・・・・その通り。生きているとは生きて活動してゆくことに意味があるのだ。病院でベッドに括り付けられてはおしまいだ!
*孫が数年前にロンドンに発つとき、朱門は「ジイチャン(自分のこと)が死にそうな病気になっても、帰ってこなくなってもいいからな。」・・・一つの希望を叶えるためには、その陰で大きな犠牲を払わなければならない。(158p)
・・・・・老人になっても甘えてはいけない、という事だ。これから未来のある人の発展を妨げてはいけない。それは一種の人間の使命感のようなものかもしれない。
*「自分のうちの事情で、世の中に迷惑をかけてはいけない。普通に生きていればいい。」(176p)
*私たちは自分より恵まれない人の存在を絶えず意識し、謙虚に残された生を生きるべきなのである。(179p)
*朱門のお骨を常識的な日時が過ぎたのちお墓に収めることにした。これも朱門が生きていたらどういうか、考えてのことである。・・・・「一人一人の人間は、その時の立場で、自分がいるべき場所にいるほうがいい。」(206p)
・・・・・やがて自分もこの世を去り、忘れられてゆく。それでいいのだ。ただそれを常に意識しておいた方がいいと感じる。私と同じような年齢になった人に勧める。
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