1620「僕が中学生だった頃」(118日(木)晴れ)

 

中学校の同期会を開くというので、私が中学生だった頃、世の中どういうことになっていたのか、手元に毎日新聞社昭和史全記録という分厚いい本があったので抜粋してみた。

私はおくてだったと言えば聞こえが良いが鈍かった、育ちが遅かった、というべきか大抵のことは後になってそんなことがあったと認識したものばかり。

私は昭和16年生まれ、戦災で焼け出され、長野に疎開したのち、昭和22年に父が現在の場所に土地を買い、家を建ててくれて引っ越してきた。23年に小学校に入学し、29年に我が家から歩いて5分とかからぬa中学校に通学することとなった。

昭和29年  3.16 第五福竜丸ビキニ被爆

4 a中学校入学

5.9杉並で原水禁署名始まる 5.12近江絹糸100日間の大争議「結婚の自由を認めよ」「宗教(仏教)を強制するな」「信書を開封するな。」

7.1自衛隊発足  10 ジュネーブ協定、インドシナ問題、ホーチミン政権

9.26洞爺丸遭難  9-11「七人の侍」「ゴジラ」公開   11.28吉田茂引退

12「お富さん」流行、プロレス日本選手権

昭和30年  2.9ソ連政変 マレンコフからブルガーニン

4クレージーキャッツ誕生

81回原水爆禁止世界大会

8.24森永ヒ素ミルク事件  9スタルヒン300

8-10砂川闘争  11自由民主党正式発足  12.15神武景気

昭和31年  1.16南極が一つの大陸であることが証明される

2,8八幡製鉄労組「女子従業員は結婚と同時に退社する」承諾

5.1水俣病発見

1-「太陽の季節」ヒット、ロックンロール大流行、「処刑の部屋」

7経済白書「もはや戦後ではない。」  10第二次砂川闘争

8日ソ共同宣言、領土問題を除き全部一致

10ハンガリー動乱、スエズ動乱  11南極観測船宗谷丸出航  12カストロキューバ上陸  12石橋内閣誕生

昭和32年  1.13美空ひばり塩酸事件  3.5頻発するガス中毒  a中学校卒業

・・・・・・・「物心がつく」とは、あるサイトによれば幼児期を過ぎて世の中のいろいろなことがなんとなくわかり始めること。しかし自分がある程度確立し、新聞も時には目を通し、世界や日本というもう少し広い世の中が見え始める年齢となると、中学生になってからと思う。その頃が60年後の今の私の考え方の出発点になっているように見える。

スターリンがなくなったのは昭和28年。小学校5年の時。その後1991年ゴルバチョフの辞任まで西側と東側の対立が続いた。ヴェトナムは結局ホーチミン政権となり、キューバはカストロの時代になった。しかしそれも今は変わり、前者はかなり資本主義的になり、後者はアメリカと国交回復まで考える時代になった。

砂川闘争やジラード事件に見られる不平等条約によるアメリカ支配の構図も岸内閣の安保改定で大きく変わっていった。しかしアメリカにどこまで頼るか、これは今でも解けぬ問題。吉田茂が引退し、神武景気、経済白書に「もはや戦後ではない。と出た時代か。

原水禁の問題は高校生のころ積極的に活動するため者が現れ、精神的に幼かった私は学生、学生がそんなことはするべきではない、と発言した。仮装行列に第五福竜丸久保山さんの死が出たのを覚えている。原水禁問題は現在でもまだ解決つかぬ。

森永ヒ素事件は結局解決しなかったな。近江絹糸や八幡製鉄労組の問題は今考えれば笑ってしまう。「七人の侍」や「ゴジラ」はいい思い出だ。「太陽の季節」、「処刑の部屋」は見なかったが、中学生になって「青春残酷物語」を見て興奮したのを覚えている。どういう風に?聞くだけ野暮だ!ロックンロールは音楽大の苦手の私は結局なじめなかった。

頻発するガス事故だって?これも製造ガス時代から天然ガス時代に変わり、中毒にならぬガスに変わってしまった。

中学生時代、私自身は妙にお勉強に目覚め、いい子になろうと努力した時代であったか。お勉強は真理の追及などという高級なものではなく、できると褒められるから、とスポーツ競技みたいに考えていた。但し体操と音楽はいつまでたっても進歩しなかったな。

 

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