163「公園の死体」(5月26日  曇り)

空中を人が歩いている・・・まことに奇妙な光景だった。

首に黄色い帯のような紐が巻きつき、それが木製のジャングル・ジムの一番高いところまで伸び、そこで捲いて、端が上の手すりに結び付けられている。男の足元から地面までは2メートルはありそうだ。すでに到着した警察官が二人左右から眺めている。しかるべき人物が来てから現場検証でもするのだろうか。

男は30歳くらい、青いトレーニングウエアを着、運動靴を履いたままである。色白でおとなしそうな面立ち、メガネをかけており、ぼさぼさの頭、銀色の腕時計をしている。遠くからだが口元も目元も鼻もきれいなようだ。

朝5時ごろ外を見たとき雨がかなりふっていた。だから今日は妙正寺公園のラジオ体操はない、と考えた。ところが6時過ぎに出ると、一応あがっている。半信半疑で出かけてみると音楽が流れているではないか。ただし人はほんのぱらぱらである。あわてて体操をはじめると、後ろにいたメガネのおばさんが「首吊りがあったのよ。まだそのままの状態だわ。」と首を絞めるまねをしてみせた。私は、推理小説に興味を持っているが首吊り死体は見た事がない。不謹慎だが恐怖心などより、好奇心がわき、見たくて仕方がない。体操もそこそこに投げ出して、ジャングル・ジムに行ったのである。
「本当にいい男なのにもったいないわねえ。」件のおばさんは何度もくりかえした。

やがて普段着でやってきた警察官らしい男が「**さんいますか。」と大きな声を上げる。第一発見者で警察に電話をした人のことらしい。

Aさんは体操指導員のおばさん。もう70すぎだろうか。割りに親しい。
「朝大分早く来たのよ。その辺を数人で連れ立って散歩したのだけれど、そのとき確かあの人がいたわ。いやあね。」
「知っているんですか。」
「全然知らない人よ。今まで見た記憶もないわ。」
「でも警察にそのこと言った方がいいんじゃない。」
「いやですよ。私は。前に、Bさんところのおじいさんが倒れた。ラジオ体操が終って歩き出そうとしたら、前のおじいさんの様子がおかしかった。肩に手をかけたら、そのまま倒れた。救急車で運ばれたけれどもうだめ。警察に呼ばれて半日絞られたわ。」
「でも今度は絶対自殺とは言い切れないかもしれない。毒殺して死体をぶら下げたとか・・・。」
「まさか・・・。首吊り自殺は2年前にもあったのよ。そのときは50過ぎのおじいさんだった。あの桜の木にぶら下がっていたのよ。」

やがて死体がおろされた。みんながわっと集まってきたが、警察官に「見世物じゃありませんから・・・。」と追い払われる。
いつもジョギングをするのだが、この一大事件でその気が飛んでしまった。帰り際10キロ走のC君が走り終えて汗を拭いていた。
「首吊りの話は知っている?」
「ああ、あれね。死んじまったらおしまいさ。」
とはき捨てるように言った。そのとおりではある。

死体の状況から、用意周到のようだから、自殺の覚悟はしていたに違いない。死ぬ前に朝の公園を歩きながら一体何を考えていたのだろう。この世の見納めとでも考えていたのだろうか。なぜ公園で自殺したのだろう。死体を早く見つけてもらいたかったのだろうか。それとも死体をさらすことによって、誰かに何かを訴えたかったのだろうか。

事件のことを知りたくて夕刊を端から端まで探した。しかし関連する記事は載っていなかった。現代では公園で首を吊ったくらいの話は事件として扱われないのかもしれない。

恐いとも凄惨とも思わなかったけれど、妙に気が高ぶって夜寝られなかった。まぶたに何事もないように空を歩くあの若者の姿が浮かんだ。

註 ご意見をお待ちしてます。
e-mail agatha@bekkoame.ne.jp
home-page http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha